1978年生 ● 王子シューレ ● 飲食店・ジム・工務店経営
● 不登校=13歳(中1)〜 ● シューレ在籍=14歳(中2)〜18歳
「シューレがなかったらどうなっていただろう。今でも外に出られなかったかも……」と語る。東京シューレの一大事業だったログハウス建設実行委員長を務めた。今は、日本でスペイン・バル(居酒屋兼軽食喫茶)の先駆けとなった「三鷹バル」、イタリア料理店「バーカロ・フェッロ」、ロッククライミング「三鷹ジム」の三店舗のオーナー、さらに飲食店開業改装を手がける「一瀬工務店」の一人親方、四足のわらじを履く。
不登校、シューレとの出会い
中学に上がった夏のある日、突然行けなくなりました。理由は今でも分からないです。行けない人間は自分ひとりと思いこみ、家に閉じこもりました。
シューレは親が探して申し込んでくれましたが王子に移転する直前だったこともあり、入会まで1年待ちの状態。でも、その待っている時間がありがたかった。心底安心して休める大事な時間となりました。
中2でシューレに入会、その後は楽しかったなぁ。気球づくり、歩こう会などアウトドアの企画にはどんどん参加しました。小さいころから両親が八ヶ岳山麓に連れて行ってくれていた影響が大きかったです。
ログハウス建設が原点、手に職と食と岩
その延長でログハウスを造りたい!と提案しました。カナダに渡り木材を伐採し、4ヶ月間泊り込みでログ建設。大変だったけど、一通りの大工仕事と食事づくりをこなせるように。完成したのは17歳。4年半の取り組みでした。
18歳でシューレを離れた後は、2年半、八ヶ岳山麓のレストランで修業。そこは食材からパン焼き窯、店舗、ゲストハウスまで何でも自分達で作る所で、全世界から若者が集まっていました。
その後、シューレで宿泊型フリースクールをログで始める時に声をかけられ、2年近く住み込みで働きました。ログの隣に焼き窯を造り、天然酵母パンを焼いて通販しました。ロッククライミングとの出会いもその頃で、東京に帰った時にはジムに出向きました。
21歳で東京に戻ると、クライミングにのめり込んでいたんで、世界の有名な岩場を登りたいと思いヨーロッパの岩場を巡る一人旅に。飲食店で働いてはお金をため、2回目の旅行では2ヶ月かけてフランス、スペインの岩場とカフェ、バルを巡りました。その時、スペイン料理が気に入り、帰国してスペイン料理店で修行。それから「飲食系で独立したいなぁ」と漠然と思うようになったんですよね。
200万円の自己資金がたまった28歳のとき「三鷹バル」を開業しました。内・外装、設備すべて自分でやりました。クライミングやシューレの仲間に手伝ってもらって。だから開業資金は百万円もかかりませんでした。7〜8人でいっぱいになる所だけど、自然食材にこだわったバルはおかげさまで盛況です。
今のシューレの子どもたちへ 「ぜんぜん大丈夫だぜ!」
30歳のとき、クライミングジムを開業しました。スペースは狭いですがフリークライミング人気やジムが少ないこともあって、けっこうはやっています。ログのときのシューレ卒業生をアルバイトで雇っていた時期もあるんだよね。
33歳でイタリア料理店を開業。そこも自分で店を造りました。35歳でもう1店舗出店したけれど、1ヶ月前に人に譲りました。とにかく全部自分でやるから開業資金がかかりません。
そんなスタイルが評判となって、工務店を名乗り店舗デザインから施工、開業アドバイスまで手がけるように。「2年間で請け負ったのは4店舗。こんなに固定観念に縛られないで仕事をする人と出会ったことがないって、お客さんからよく言われます。もとをたどれば、不登校とシューレでの経験のおかげ。今は内装工事が楽しい。安く提案できるのが自分の強み。いろいろやって雇っている人間も多くなってきているので、今後、会社組織にしたいです。
今のシューレの子どもたちへ——一人でもこういう生き方ができるんだ。ぜんぜん大丈夫だぜ! と見せていきたいと思っています。
【三鷹バル】 東京都三鷹市 井の頭2-14-8 TEL→0422-77-4559
facebook https://m.facebook.com/profile.php?id=269793953201141
【バーカロ・フェッロ】 東京都杉並区久我山2-25-19-2F TEL→03-6322-7120
Web http://bferro.exblog.jp
【三鷹ジム】 東京都武蔵野市中町1-1-8 HN28ビル B1F TEL→ 0422-56-2926
Web http://mitakagym.com