1979年生 ● シューレ大学 ● 図書館員 ● 不登校=15歳(中3)〜 ● シューレ在籍=19歳〜24歳
不登校になったのは中学3年生の夏です。
勉強はできるほうで、科学研究部長、学校新聞の編集委員長など、「長」のつく役割をいろいろ引き受けて、いっぱいいっぱいになって行けなくなったのが始まりでした。
不登校のまま中学を卒業し、1年ほど家で過ごした後、NHK学園の通信課程を2年ほど受講しました。その頃、東京シューレが若者の学び場をつくることを検討していると知り、それなら自分もぜひ、とシューレに手紙を書いたのがきっかけで、「シューレ大学設立準備委員会」に参加するようになりました。毎回、地元・長野から東京に通い、1999年4月、設立第1期の学生としてシューレ大学に入学、以来2004年3月まで、5年間在籍しました。
101本の映画を観る!斬る!
5年間でとくに強く印象に残っているのは、私の提案から始まった「20世紀と映画を斬る」と題する、101本の映画を観る一大イベントを開催したことです。
実はそれまで、映画はほとんど観たことがありませんでした。ただ、本好きで、本無しでは生きられない人間だったんですね。のちに友人と「自分たちビブリオン(造語「本人間」)だよね」と言い合ったほどで(笑)。その私が、『シネマ』という本を書いた、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの著作を通じ、映画のもつ記号とか、メカニズムに魅了されてしまったのです。
一つ興味をもつと、とことんまで味わい尽くしたいという性分で、とにかく映画を観まくりたくて提案したら、さっそく実行委員会が組織されて、当時わずか学生10名ほどだったミニ大学にしては豪華すぎる企画が実現したんです。
と言うと、いかにもスムーズなんですが、実は途中で、ゲスト講師とのやりとりで早まったことをしてしまい、そのやましさから、しばらく皆の前から姿を消すという「雲隠れ事件」を起こしたこともありました。詳細は割愛しますが……。
その反省も含めて(汗)、この企画を皆とやりきったことの意味は、私の中で大きかったと思います。
本や映画、音楽、美術などをひたすら浴びて、そこから文章にしたものを『シューレ大学紀要』に表したりもしました。書くこと……これは、私にとって、官能性のあるものといいましょうか。今も個人的に文章を書き続けています。
本好きが本領発揮!
シューレ大学を出てからもビブリオンの私は、住んでいる東京郊外の図書館に通い続けていました。そこで臨時職員を時々募集しているのを知っていて、次のチャンスをねらって応募し採用され、以来現在まで、頻度は年によって違いますが10年ほど図書館で働いています。
ある時、当時の図書館長が、私のシューレ大学という経歴を面白いと思ってくれたのか、地域資料を管理する部門に配置してくれました。
そこでは大賀一郎氏という、古代ハスの発芽成功で有名な植物学者の蔵書や、郷土史家らの資料の整理・目録づくりを行いました。古い目録が不完全だったので、一つ一つ資料を調べ直して、思わぬところから発行年を発見したり、解読しながら穴埋めしていく作業は、ドキドキもので大変面白かったです。
この時直接の上司として作業のノウハウを教えてくれた方が、地域の郷土博物館をつくるメンバーでもあった名物職員で、その方からいろんなことを教わりました。今思うと、幾つかの良い出会いに助けられてきたなあと思います。
創意工夫でねばって生きる
シューレ大学で出会った人たちは、私にとって大事な存在です。「精神的ご近所」みたいなものかな。
みんな、ねばって生きているんですね。生きていく上でぶつかる問題もありながら、そこから自分なりのテーマを見つけて、創意工夫でねばって生きている。その生き方が面白くて、楽しいんですよ。
私自身は表に出るタイプではないのですが、そんな人たちがこの社会にいることの意味を、なにか一緒に発信できないかなあと思うのです。
経済性優先の社会では淘汰されるような、小さな、でも面白いことをしている人たちを、ハブ的な立場で発信する手伝いとか、プロデュースができたらいいなあと、ひそかに思っています。