1993年生 ● 葛飾シューレ ● サッカーショップ職員 ● 不登校=中2〜 ● シューレ在籍=中3
シューレ中開校1年目に入学
学校に行かなくなったのは、サイトにいろんな書き込みがあって、私じゃないのに私だと疑われたことがきっかけです。先生は信じてくれたけど、今まで友達だと思っていた人に疑われた、ということがいやでした。すごく好きだった部活がいづらくなり、陸上部にいけなくなったのがつらかったです。
このままでは部活ができないので、全く別の学校に転校して、また陸上をやろうと思い、親にはすぐに言い、親も認めてくれました。
次の学校は、真面目じゃない不良っぽい子も結構いて、合わないなとすぐに思いました。11月ごろには、もう行かなくなっちゃいました。
親はすぐに許してくれました。「行きなさい」とか親からは一切言われませんでした。元々うちの両親は、子どもがやりたい、ということをいつも応援してくれる人たちで、勉強しろとかそういうことも一切言う親ではありませんでした。ただ転校して、制服とか教科書とか全部揃えて、買い直してもらったりしたのは、悪かったなあ、と思いました。
母親は前から、フリースクールなどいろんなことを調べていて、シューレ中のことを教えてくれました。
東京シューレ葛飾中学校という新しい学校ができる、ということを知り、私自身は勉強をしたくないわけではないし、高校も行きたいと思っていたので、ちょっとでも勉強できるところがあればと思っていました。普通じゃない学校、というところも自分にとっては安心感がありました。
好きなことをやり続ける
シューレ中が開校1年目、中学3年生で転入し、1年間過ごしました。今までの人生で、1年間学校を全然休まなかったのは、シューレ中が初めてです。遠いのによく行ったなと思います(笑)。
休み時間や空き時間は、とにかく好きなスポーツ、サッカー。夏にやった箱根の合宿も楽しかったし、仕事体験ではパン屋さんや保育園に行ったのもよかったです。
文化祭では司会をやりました。今まではどちらかというと、他の人に任せる派、人前に出るのは好きじゃなかったのに、ステージには出るし、ホームで取り組んだメイドカフェはやったし、ものすごく忙しかったのを覚えています。でもぜーんぶ楽しかったです。
高校でも専門学校もサッカーを
高校は、建築などに関心があったので、いろいろ自分で調べて、科学技術高校というところに行きました。高校でもずっとサッカーは好きで、男の子に混じって男子サッカー部にマネージャー兼選手として入り、活動していました。小さい頃から男の子の友達は多かったから、それほど違和感はなかったです。
進学もどうしようと考えていたところ、母親がスポーツ関係の専門学校を見つけてくれました。新潟にあるサッカーの専門学校でした。早い時期にオープンキャンパスに申込み、高3の初めには、ここに行くことに決めていました。
卒業してこの新潟の専門学校に行き、初めての一人暮らしを始めました。女子のサッカーのうまい人たちが集まってきて、女子サッカーの先輩というのもそこで初めて出来、最高な仲間と出会えた学生生活でした。
そして、就職も……
就職は、東京にあるサッカーショップに早期就職という形で、卒業前にそこに決めました。シューレ卒業後は好きなことをひたすらやっている日々です。サッカーはずっと続けていたい、体が持つまで。今は、女子サッカーの社会人チームに入っていて、週1回の練習、土日に試合というスケジュールなので、サッカーショップだと土日が忙しく、お休みをもらうのも申し訳ないので、土日の休みをもらえる仕事に変えました。
今年になってからは、キャプテンを任されています。自分がサッカーをやり続けることによって女子サッカーをもっと有名にしたいなあと思っています。
学校に行かなかったことは、いろいろ考えられたし、ある種リフレッシュできたと思います。シューレに入ってからは、いろいろ挑戦できたことがよかったし、なにより自由な発想が生まれたことがよかったです。