1983年生 ● 王子シューレ ● イラストレーター
● 不登校=高2〜 ● シューレ在籍=18歳〜21歳
大学に行かない進路を、考えたことが無かった
小学校では女の子から無視などのいじめが3年間あり、休みは多かったけれど通いました。
次第に、自分が困った時はその場にいないことにする癖をつけていきました。夢は美大への進学で、私立の中高一貫の進学校に通い、いじめは無くなりましたが、高2の半ばに初めて学校で発作が起きました。解離性障害だったことが、のちに分かりました。
友達関係は良かったですが意識がとぶ感覚もあり、精神科にかかり、学校には行ったり行かなかったりの生活になりました。
リストカットをしたり、寝込む日々で、周りも自分に対して腫れ物に触る感じ。友達の輪に入れないみじめな思いもあり、白黒はっきりつけたくて、高3で中退しました。大学に行かない進路を考えたことが無く、弱い自分を見せることも嫌、何につけても「カッコ悪い」思いでした。家を出られない、起きられない、でも、学校に行きたい気持ちが強かったです。
ここにいて、いいんだなって。
親は、娘が精神科にかかるなんて戸惑ったでしょうが、焦らず見守ってくれ、シューレを探してきてくれました。学生でもない「何者でもない」のが嫌で、何かに属したくて、体験見学に行きました。学校に行けないことを話せる人たちがいたのが安心しました。「普通の人」はいない、みんなそう見えるだけ。他人事でなく「大変だよね」と思えました。
シューレでは、バンド、料理、飛鳥山公園で缶けり、友だちとロリータファッションを着て楽しみました。フリースクールフェスティバルのポスターを描いたり、絵を頼まれる時は、うれしかったです。ここにいて、いいんだなって。
一言も話さないけどそこにいるのが楽しそうな人とか、学校と違っていろんな人がいるのが、自分にとって一番魅力的でした。そんな友だちを撮影して写真展を開いたことも面白かったです。
高校を出られないなら何かしなきゃ、人並みになりたいという一心で、大検を取得、シューレ退会後、21歳で専門学校に入学し、デッサンなどを学びました。友だちや親からの依頼で、イベントやお店のチラシを描く日々でした。
高校の友だちと会うと美大や就職の話になるのはつらかったですが、23歳で初めてのアルバイトをし、25歳にもなると落ち着いて話もできるようになり、気持ちに一区切りつきました。26歳でデザイン会社に就職しましたが、労働環境がひどく上司とも合わず、退職し、1年半ぐらい精神科に入退院を繰り返しました。もうダメだなと思い、勤めない生き方を探して今に至ります。
ゾンビ道場で、等身大の自分になる
現在は、個展やライブペイントの活動をする、フリーランスのイラストレーターです。日常的なものをモチーフに心の内側のことを描いています。絵を見た人から「わかる、目に見えない気持ちを絵にしたらこうなります!」と言われると嬉しく、それがやり甲斐になっています。
フリーペーパーの発行もしていて、タイトルは「ゾンビ道場」。倒れそうで倒れない、道場だから仲間がいる、という意味です。カッコ悪いことも含めて、自分の愚痴を描こうと始めました。紙面に対する感想をもらうと、読み手と愚痴りあっているようでスカッとします。ここでは不安を隠さず、心配事を話し、絵に描くことができます。かっこつけて取り組んだものでなく、ダラダラしたものが共感を得られるのは、楽しくもあり、安心もあり、嬉しいです。
私は人の心のことがすごく好きで、話を聞いて、考えの幅をどんどん広げて発信したいと思っています。今は絵ですが、今後は考えたことを文字にもしたい、一番の夢は本を出すことです。
大人になると、学歴でしか人を見ない社会を感じます。シューレで出会った人たちは、とても魅力的。学校に行くとか、「当たり前とされているところ」じゃない場で生きている人がいることを、学歴・年齢・社会的立場など「普通」の「ものさし」をとっぱらって、自分の頭で考えてみてほしいです。