1993年生 ● 葛飾シューレ ● 会社員 ● 不登校=小5〜 ● シューレ在籍=中3
学校には小5から行かなくなりました。何かがあってというよりはだんだん行かなくなった感じです。
学校の中の相談室に数日行って、何日か休んで何日か行くペースでした。両親ともあまり行け行け、と言わなかったです。
中学になったら、自分でも行けるかなと思っていましたが、やはり行かなくなりました。休むと行きづらくなるので、最初の1時間目だけ出て、あとは保健室に行くということを続けていました。
そういうことを1ヶ月ほど過ごしたあと、フリースクールに行くようになりました。中1はフリースクール、中2では行政が開いている、ふれあいスクールに行っていました。ただそこだと全部の教科は勉強できず、物足りなかったので、もっと勉強したいな、と思っていました。
シューレ中のことは母親から聞き、中3で入りました。授業に出ない人がいたりしたけど、人のことはあまり気になりませんでした。文化祭ではお化け屋敷をやったり、修学旅行では広島に行って大和ミュージアムに行きました。機械に関心があるので、とても楽しかったです。
調べたいことを調べることは好き
進学先は実際にものに触る授業が多いので、高等専門学校にいきたいと考えました。5年間あり、大学の受験勉強に時間を取られずに自分のやりたい勉強ができるということが選んだ理由です。僕は勉強が好きと思われているかもしれないですけれど、調べたいことを調べることは好きですが、決まったこと、テストのための勉強というのは好きじゃないです。
高専では、8つのコースに分かれていて僕が選んだものは、医療福祉工学コースというところです。1日8時間の授業、部活ではラジコン飛行機部に入って週5日活動していて、レポートもたくさんあって大変でした。
あるものだけで工夫する仕事のおもしろさ
2014年から「日本海洋掘削」という会社で働いています。今はドバイ勤務です。海の上の施設の中で、そこにあるものだけで工夫していくところがいいなと思ったのが就職の理由です。
石油を掘る仕事なのですが、そのための機械だけじゃなく、日用品などもいちいち業者を呼んだりできないので、コーヒーメーカーなども自分たちで直します。そういうのもおもしろそうだな、と。5週間勤務、3週間休みというサイクルで、朝6時から18時までの勤務で、業務としては機械のメンテナンスをやっています。8割が海外の人で、日常会話は英語です。
不登校の経験を通して
今は仕事が楽しいですけれど、不登校を経験していなかったら、決まった道から外れるのはよくない、と思っていたと思います。きっと嫌になった時に、何も考えずもっとがんばらないといけない、転職や辞めることは考えてはいけないと思っていたでしょうね。
シューレとかフリースクールでいろんな生き方をしている人の話を聞いているので、いろんな選択肢を考えていけるかなと思います。