1983年生 ● 王子シューレ ● 主婦 ● 不登校=中学3〜 ● シューレ在籍=中学3年〜17歳
不登校経験とシューレに出会うまで
小学6年生の時に、大きな病気をしたこともあり、中学校入学後も五月雨登校で、本人も周囲も不登校という自覚はなく、あくまでも病弱生徒としての扱いでした。
そのような出席状況にも関わらず、一方で、いざ試験を受けると学年上位の成績を取っていたので、周囲とだんだん距離を感じるようになってきたんです。
決定的に休み始めたのは、中学3年のゴールデンウィーク明け。当時大好きだったアーティストが事故死する出来事が起こり、自分は学校を休んででもお葬式に行きたいと思いました。ところが親から反対され、学校に行きました。
でも、やはり友人とのコミュニケーションはうまくいかず、学校に行っても楽しくないし、何の意味があって学校に来ていたんだろうと思うように。そして、ようやく「そうか、私は学校に行きたくなかったんだな」と気づいたわけです。そこから休みがちになっていきました。
自宅は自営業をやっていたので、家に居ても親と日常的に顔を合わせるのがつらくて、図書館に通っていました。そこで、たくさんの本を読みました。趣味の本、自殺の本、心理学系の本、そして、不登校の本……。
その時の私は、学校に行きたくないという気持ちに気づき、そして今、自分は学校を休んでいることが嬉しくて仕方なく、希望に満ち溢れる思いでした。
そんな中、『学校に行かない僕から学校に行かない君へ』を見つけます。タイトルに衝撃を受けました。その日のうちに自分でシューレに電話をし、説明会の予約をし、詳細を書いたメモを机の上に本と一緒に置いておきました。その後3日間は親とのバトルでした。それでも、自分のことは自分で決めたい思いを曲げずに、とうとう親も説明会に出席し、見学を終え、入会するに至ります。
シューレでの解放感とバイトで突きつけられた不利益
シューレ入会後まもなく、イベントの実行委員会に参加したり、学生ゼミや説明会に子ども登場として自分の経験を積極的に話しました。とにかく学校から解放された幸福感がありました。
その後、アルバイトを始めることになりましたが、面接の時に、不登校やフリースクールへの理解が全くなく、事細かに話さなければならなかったのですが、その時、自分は中卒で無職で何の保証もない。自分が今いる場所(フリースクール)に対する社会的信用はないことを思い知らされました。その後、学校に行っているバイト仲間とは話が合わず、孤独感を感じることが多かったです。そんな時、シューレの仲間で友人宅に泊まりに行くなどして、外で感じていたストレスを発散していました。
新しい命との出会いとシューレの仲間たち
その後、友人関係や親子関係などでも苦しむ時期があり、いろいろなことがいっぱいいっぱいになった時、1度リセットしようと思いシューレを退会します。しばらく苦しい状況が続きつつ何とか生き延びている中で、今の主人と付き合うようになり、結婚し、新しい命も授かりました。
息子が誕生し、不安な中、結果的に支えてくれたのはシューレで楽しく遊んだ時代の仲間たちでした。
息子が小学校の学校生活がうまくいかず、学校外の居場所をと思った時に真っ先に上がったのはシューレです。でも、私も主人も学校に行かないことがその後の社会を生きていく中でどれほど不利益であるかを身に染みて感じていたから、「シューレに行きなよ」とは言えなかった。本人にはあくまでも選択肢の一つとして提示しました。そして、本人はシューレを選択しました。
これからの私について
まずは、いろいろな生き方が全肯定される社会をつくっていきたいです。今から10年後、息子が社会に旅立つときに、私たちと同じ思いをしてほしくないから。
それから私は、ずっと歴史、特に民俗学をやりたかった。何せシューレ内で「宗教」講座を持っていたくらいですから。いずれ在野の研究という形でもいいから、学んでいきたいと思っています。