1972年生 ● 東十条・王子シューレ ● NPOスタッフ ● 不登校=7歳(小2)〜 ● シューレ在籍=12歳(中1)〜19歳
私が学校に行かなくなったのは、小学校2年の時でした。もう35年前の話になります。
家の中はいつも不安定で、小2になる時クラス替えがあり、担任はひいきをする人だったので、無視される私は教室にいられなくて、いつも廊下で泣いていました。だんだん朝起きられなくなり、先生たちが車で迎えに来て、両親と祖母と先生達とで、布団から無理矢理引っぱり出し、階段の柱にしがみついていた手を指1本ずつはがされ、車に乗せられて学校に連れて行かれました。
職員室の机で私を囲み、学校から逃げださないようにされたこともありました。それでも学校から抜け出し、家では泣き叫び、震えが止まらず不安症みたいな感じになってきたので、親も先生たちも学校に連れていくのはあきらめたようでした。
当時は、「登校拒否」という言葉もない時代で「学校に行かない子どもが世の中にいるなんて」と。周りの大人の反応は「心の病気」「人間じゃない」「警察に捕まるよ」「この子は結婚できない、就職できない、生きていけない」と様々なことを言われました。ま、35年経っても生きていますけどね。
小3の時に引っ越しましたが、新しい学校にも行けませんでした。その後は、教育相談所、精神科通院、保健室登校、特殊学級、部活だけ登校、下駄箱タッチと学校に戻るためいろんなことをさせられました。自分でも戻らなきゃと思っていましたが、学校や先生に対して恐怖心を持っていたので、それで学校に行けるということはありませんでした。
東京シューレオープニングの日から
小5の頃に親が「登校拒否を考える会」に入会。そして東京シューレができることを知りました。オープニングの日にたくさんの学校に行かない人と出会い、私だけじゃないんだと思って、気持ちが楽になったことを覚えています。通うまでは時間が必要でしたが、行き始めると演劇やコーラス、講座、登校拒否の子どもアンケート、東京シューレ通信の編集長、夏の合宿、イベントなど、本当にいろんなことに関わりました。
19歳で退会する時は、親にしばらくゆっくりしたいと宣言して、先のことを決めないで、シューレのボランティアや短期のアルバイトをしながら、家を中心に過ごしていました。
その後、シューレの仲間と結婚、妊娠、出産を経験しました。1994年に大田シューレができた時、赤ちゃん連れでボランティアとして関わることになり、しばらくして王子の常勤スタッフになりました。その後、新宿シューレへ移り、現在スタッフになって22年です。
学校に行く行かないを一緒に相談しながら
息子たちは、高校生と大学生の年齢になり、それぞれ新宿シューレや東京シューレ葛飾中学校で育ちました。
シューレで学んだことの一つが、子どもに選ぶ権利があるということ。だから、子ども達が小学校入学前に、学校に行くのか、フリースクールに行きたいか、家にいたいかを家族で相談しました。
私としては学校に行くことが当たり前ではなく、自分で選んでほしかったのです。入学式から学校に行かず、9年間シューレに通った長男が高校に行くと言い出した時も、次男が小学校に行く選択をした時もびっくりしましたが、行くのも行かないのも応援すると言ってきたので、「合わなければやめればいい」と家族で話をしました。
長男に「一度もお母さんに学校に行けって言われたことがない、それだけは本当に良かった」と言われた時は、「気持ちは伝わっているんだなぁ」と嬉しくなりました。
学校に行かない子は増えましたが、行かないことで、まだまだ苦しんでいる人はたくさんいます。様々な子ども達が成長していく場としていろんな居場所があることが大事だと思います。シューレは自分が会員だった時、本当に楽しかったし、今もシューレの子ども達と過ごす毎日は本当に楽しいです。
何かにぶつかったとき、迷ったり、落ち込んだりしながら自分がいいと思う道を選んできました。振り返ると、後悔もいっぱいあるけど、だから今ここに自分がいるんだと思えるのです。