1978年生 ● 王子シューレ ● 工務店経営 ● 不登校=中1〜 ● シューレ在籍=14歳〜20歳
「中村直暁工務店」、自分のフルネームを屋号にしたリフォーム中心の内装屋を1年前に始めた。「気に入ってんですけど、なかなか“タダアキ”が読んでもらえないんですよね……」、照れながら笑う。仕事は途切れなく順調に入ってきているという。立派な一人親方だ。
いま思えば、ちょっとしたことで不登校に
学校の集団行動は小学校の頃から苦手でした。1週間ほど休むことは時々あったと記憶していますが、それほど無理なく通っていて、本格的に行かなくなったのは中1の2学期から。夏休み中の登校日を忘れて外で遊んでいたら、制服を着た友人から「オマエ、何やってんの!?」となじられて。ちょっとしたことだったけど、夏休みが明けても、どうしても行きづらくなってしまった。
親は、小学生からちょくちょく休んでいたことに戸惑っていたようで、本を読んだり勉強していました。本格的に不登校になって相当悩んだと思います。精神科へ1回、連れて行かれたけど、1年間家でゆっくりさせてくれました。
シューレは親から中2の時に聞きました。母親の勤め先が近かったこともあり、すぐに入会。すぐになじみよく遊ぶ仲間もできました。楽しかったのはTVゲーム、サッカー、卓球。それにマージャンは土日も王子に集まり「北とぴあ」でやったり。おかしな連中ですよね。
当時ミーティングで、シューレ内のマージャンがしばしば議題になっていて、そのたびに議論し自分たちなりの“工夫”をしていました。
中学が終わるとすぐに自宅近くのフードコートでバイトを始めました。当時はシューレの在籍が20歳までだったので、シューレの時間を中心に満期退会するまでいろいろなバイトをしました。
退会した年に、埼玉県立大宮中央高校通信制に入学。当時、流行っていたマンガ『シュート』を読んでいて高校サッカーにあこがれて、1年目からレギュラーに。通信制だからすぐに上の大会に行けたんですよ。全国大会の2回戦まで進み、満足感を味わうことができました。でも、目的が実現すると通う意味もなくなりました。高校もフルで在籍していたんじゃないかな。だから7〜8年高校生はやっていたはずです。
学校へ行かなかったことの方がメリットが大きい
学校へ行っていたらそれなりにできるようになることもあると思います。でも行かないメリットの方が自分には大きかった。自分で考える、自分で決めることを身につけることができたから。今の自分が柔軟な考え方ができて、悩んでいても「何とかなるさ」って楽天的なのも、不登校できたからかも。
20代前半、派遣会社から派遣された先にハウスクリーニング会社がありました。その時のバイト仲間の女の子が、同業の会社を立ち上げる際に誘われ、一緒にやることに。それが29歳。翌年には結婚し、長男が誕生しました。社長であるエネルギッシュな妻、自分の方は丁寧な仕事と笑顔がよくて営業力があると評判だったんです(笑)。
仕事も家庭も順調、長女、次男にも恵まれたが、1年前に別れることになってしまいました。子どもとは月に2回、週末を一緒に過ごしています。
工夫とアイデアで勝負
「中村直暁工務店」を立ち上げて1年が経ちます。そこそこ今の仕事が順調なのは、前職のつながりがあるからです。シューレのかつての仲間も単発バイトで手伝ってもらったり。助かってます。
賃貸物件の原状回復の仕事が中心ですが、大抵の現場は図面も手順も何もなく。工夫やアイデアが勝負。きれいに仕上がることが一番の快感です。
最近は一般家庭の家屋修理の仕事も入ってきます。親身なお付き合いになるのも楽しいです。修理のいきさつを聞くなかで、火災保険がちゃんと活用されていないことにも気付いたり。工務店側から活用できるものを提案する必要があるな、と。そこに新たな仕事のチャンスもありそうです。
ありがたいことに今は仕事に追われています。でも時間にゆとりがないのが悩み。しばらくしたら会社にして社員を持ちたいと思っています。