1980年生 ● ホームシューレ ● SHINZEN造形研究所主宰 ● 不登校=7歳(小1)〜 ● シューレ在籍=14歳(中3)〜22歳
「あること」に気づく
今、造形作家として、粘土で模型を造っています。恐竜や怪獣などのフィギュアです。小学校に入る前から絵を描くことが好きでした。小学生の頃には、プラモデルを買って組み立てるのが大好きになりました。
その頃、模型の雑誌を眺めているうちにあることに気が付きました。「本に載っている模型は、誰かが造ったものなんだ」と。こういうと、当たり前すぎて笑われてしまうかもしれませんが、今になって思えば、それに気づけたのは僕にとって大きな出来事でした。
普通、プラモデルやオモチャは「買うもの」って感覚がありませんか?そのオモチャは、売っていたお店ではなく、どこかのメーカーで製造されている、という事までは想像しやすいと思いますが、では、そのメーカーではどうやって製造しているのでしょう……。オモチャはいろんな製造工程を経て商品になっていますが、絵に「描いた人」がいるように、オモチャの場合も、形がある物はその形を「造った人」がいます。大手メーカーの大量生産品では、形を造った人を公表しない場合が多いのですが、完成度にこだわった模型などでは制作者を公表することがあります。
「誰が造ったのか」に目を向けると、人によって違う作風や個性が見えてきます。とくに魅力ある形を造る人には強くあこがれるようになって、「自分もカッコいい模型を造りたい」と思うようになりました。
ワンダーフェスティバル
中学の頃には、買ってきた模型を組み立てるだけではなく、見よう見まねでいろんな材料を試しながら、自分の模型を造るようになりました。
自作模型の中で、「コレは」と思う作品を原型にして複製品を作成し、ガレージキットという少数生産の自家製プラモデルにしました。「ワンダーフェスティバル」という模型好きが集まる大きな即売イベントにそれを持って行きました。今からちょうど20年前のことです。
イベントの参加資格に「代表者は18歳以上」という規定があり、年齢が足りなかったので、勝手に親の名前を使って申込みをしました。
後でえらく怒られたのですが、どうしても参加したいと頼みました。父に「お前の模型なんか絶対売れない」とはっきり言われ、悔しくて泣いてしまったのを覚えています。
申込みだけでも数万円、材料費もかかります。住んでいる香川からの交通費なども考えると安く見積もっても20万円くらいは必要になります。もちろん準備も一人だけではできません。反対されるのは当然ですね。
その頃、毎年夏休みには家族みんなで旅行に行くのが恒例行事でしたが、それをやめてその分をイベントへの交通・宿泊費に充ててほしい、というのが僕の要求でしたから怒られるのも当然です。でも、どうしても参加したかったので、泣きながら説得しました。毎年貯めていたお年玉を全部下ろして参加費や材料費に当てました。
たしか、商品が全部売れたら30万円くらいになるように計算して準備をしました。でも、結果は売上3万円ちょっと。僕はガックリ。父の予言はみごと的中で言い訳もできないと思ったのですが、それを横で見ていた父は、意外にも「売れた!」と喜んでいました。がっかりした僕を励まそうとしたのかもしれないのですが、それだけじゃなく本当に嬉しそうにしてくれていました。
そのイベントにはそれ以降も毎年参加していて、今に至ります。
与えられた課題をこなすのではなく
好きなことに没頭できる時間が持てたのは、不登校なればこそのものですね。当時を振り返ってみると、好きなことに自分なりの方法や距離感で向き合えるだけの、時間的な余裕があったように思います。誰かに与えられた課題をこなすのではなく、自分自身の判断や価値基準で「自分のやりたいこと」にチャレンジできました。
それを支えてくれる人達ともたくさん出会えました。今も、その頃に出会った人や、その繋がりで知り合った人達に支えてもらいながら活動しています。
SHINZEN造形研究所