1997年生 ● 葛飾シューレ ● 高校生 ● 不登校=9歳〜 ● シューレ在籍=13歳(中1)〜15歳(中3)
泣きながら話した日をきっかけに不登校
最初に学校に行かなくなったのは、小学校3年生でした。クラスの中の暴力的な子に殴られたりけられたりとひどくいじめられました。その子も児童館でガラスを割ったりしていたということを聞いたことがあるので、その子はその子で悶々としたものを抱えていたのだと思います。
先生も知ってはいたけれど、だからといって何かが変わるわけではありませんでした。親が言うには、学校に入って2日目から「学校に行きたくない」と朝泣いていたらしいです。
学校に行く準備をしているときに、どうしてもだめ、という気持ちになって、しゃべられないくらいに泣きながら、その状況を母親に言い続けました。次の日母親が、おばあちゃんの墓参りに行くことになっていて、「一緒に行く?」と聞いてくれました。
電車とバスを乗り継いで、母親と二人でお墓参りして、気持ちがすっきりしました。泣きながら話した時点で、自分もすっきりし、親も行かせなくていいんだという気持ちになっていたのだと思います。その日から不登校になりました。
そのあと、市内にあるねむの木学級という通級に週1回通い始めました。そこは結構楽しかったです。とはいえ、学校への未練というのが、小学校卒業するまでずっとあったように思います。学校には行っては休んで、ということを何度か繰り返していました。
シューレ中のことは通級の先生から聞き、中1からシューレ中に入りました。
大人数で遊ぶ、という経験が今までなかったので、シューレに入ってからは、広いところでみんなで野球をしたり、思い切り遊んだことをよく覚えています。
中3の時、修学旅行の委員になりましたが、そこでがんばりすぎてしまいました。いつも、すぐにがんばりすぎて、つぶれることがあるのです。夏休み、すごく落ち込んで、眠れなくなって朝5時に寝ることもありました。携帯をいじったり、朝まで音楽聴いたり、そのあたりで「なんでもいいや」と楽になれました。すごくつらかったけれど、あれが一番必要な時間だったなあと思います。自分に楽な形でやっていければ、と考えられるようになりました。
高校にある時期行かなかったことも全く後悔していない
高校は野球をやりたくて、チャレンジスクールに入りました。10月頃には野球部を休むようになりました。単位も気になるし、行こうと思ったら玄関先でおなかが痛くなりました。「これは」と思い、無理して行かずに家に引き返しました。その辺の判断ができるようになったのはよかったと思います。
高校にある時期行かなかったことも、全く後悔はしていません。自分にとって必要だったと思います。今はコンビニでバイト、軽音楽部に入っているのでバンドもやっていて、忙しいし疲れるけど楽しいです。
いじめられていた時の光景は今でも目に焼き付いて離れないものもあります。でもそれを思い出したからといって、何もできなくなる感じにはなりません。そんなこともあったなあ、ととらえています。
不登校になって、一人でいろんなところに行ったり、シューレに来てからは、たくさん野球をやって、カラオケに行って、それがすごく楽しくて、前から好きだった音楽をやろうかな、と思えました。ふつうに小学校をそのまま行き続けて、何も考えずに中学高校とすすんでいたより、楽しいんじゃないかなと思っています。
今の家族関係、友達関係、自分の周りにあるもの全部含めて、「不登校ありがとう」という感じです。
楽になったのは、親の存在があると思うし、今でもどこにいても家に帰りたいなあ、と思います。反抗期であろう時期を、シューレに来て楽しく過ごせました。親には、不登校と同じくらいか、それ以上に感謝しています。