1983年生 ● 王子シューレ ● 大学院生(卒業)・会社員 ● 不登校= 小6後半、中1〜3年 ● シューレ在籍=14〜15歳
いくつかの場所に行く中で出会ったシューレ
私は郊外の小学校に転校して五年生でいじめにあい、六年生で不登校を経験しました。心機一転を図って受験し、私立中学に進学しましたが、そこでもいじめがあり、結局不登校になりました。
少し遅れて妹と弟も不登校をし、3人兄弟全員が不登校を経験しました。親はあわててカウンセリングやフリースクールなどを回りました。その中で東京シューレに出会い、14歳で入会。選んだ当時は、家から通いやすく、男の子も女の子もいて、ここなら居場所が見つけられるかなと思ったからです。
当時、シューレに入ったときの記憶は、ともかく子どもが多くて、うまくなじめなかったのです。その中でスタッフも、手が回っていない様子が見えて、「なじめない」と相談を切り出すことも難しい、という状況でした。
しかし、思い切っていくつかの講座に入ったり、98年の全国子ども交流合宿の実行委員会に入ったりして馴染んでみようとしましたが……今思えばいじめから不登校の過程でエネルギーを使い切っていたので、この時点で私には人間関係をつくる余力はなかったのです。結果、私は盛り上がっている人たちを隅から見ているような、傍観的な立場にいました。
そして結局、1年弱で退会してしまいましたが、短い時間の中でも、今につながる様々な気づきが得られたように感じます。
卒論も、修士論文も不登校とフリースクールをテーマに
シューレを出てから、他のフリースクールにもいくつかお世話になりながら、通信制高校を経て大学に進学しました。不登校やフリースクールを取り巻くコミュニティ、まちづくりに強い関心を持っていたのです。
卒論は「フリースクールと地域会をテーマに選びました。自分がフリースクールに居た時のことを振り返りながら、不登校の歴史をまとめ、フリースクールとまちの人たちとの関係を運営者にインタビューしました。調査・執筆する中で、フリースクールを含めた自身の不登校経験を振り返る機会にもなりました。
そして、就職をしたのですが、5年目に働きながら大学院で学ぼうと決意。その理由には、進学によって自分のスキルアップを図るとともに、「不登校」の経験を自分なりに整理しておきたいという思いがあったからです。
修士論文のテーマは、「フリースクール(不登校の子どもの居場所)における、『非当事者(第三者)』の意義についての考察」というものでした。
改めて自分とフリースクールの関係を考えたとき、「フリースクールを出て進学し、当事者でなくなった私」は、それでも「当事者」なんだろうか、と疑問に思ったことをきっかけに、そのテーマを選びました。そしてフリースクールを運営される方を中心に調査にご協力頂き、結論としては当事者も元・当事者も、経験がなかった非当事者も、同じ「不登校に関わる」時、それぞれ視点の違いや、その役割、強みに違いがあるということが分かったのです。
また、それを調べていく過程で、不登校経験、フリースクール経験が、自分の人生を構成する一部になっていることを実感しました。不登校の経験は進んで選んだ訳ではありませんが、現在の自分を形づくる経験の一つとなっていることが分かったのです。
「当たり前ってなんだろう」と考える
今振り返ると、いじめによって追い詰められた当時の私にとって、不登校は「生きるための緊急避難としてやむを得なかったことだと思います。
そんな不登校を体験したことで、徐々に「学校へ行く」「学校に行かない」といったそもそもの区分に疑問を覚えるようになり、「当たり前ってなんだろう」と考えるようになりました。「不登校をせず、学校に行き続ける」というメインストリームの生き方をたどっていたら、きっとそんなことを考えることはなかったと思います。
貴重な視点を与えてくれた不登校。これからもそういった視点を忘れず生きていきたいと思います。