1983年生 ● 王子・ホーム・シューレ大学 ● 社会的企業職員 ● 不登校=小2〜 ● シューレ在籍=14歳〜15歳・19歳〜29歳
東京で生まれ、フィリピンや愛知などで暮らし、東京に戻ってきて小学校2年生の時に風邪をひいて学校を休んだのが、不登校の始まりでした。3年生の時に始まったばかりのホームシューレに入って、14歳の時に王子シューレに入りました。15歳で王子シューレを出て、19歳でシューレ大学に入りました。
実は、入学する気持ちじゃなくてシューレ大学の体験入学に参加したけれど、体験入学で学びに対する価値観がまるっきりひっくり返ってしまったのです。
それまでは、学びというのは自分を縛るもので、固くしてしまうものでした。自分を隠してしまう飾りのようなもので、だからできるだけ学ばないようにしてきました。それが、体験入学で知った学びは、身に着けてしまって身動きをしづらくしているよろいをはずしてくれるもので、自分を解放して自由にしてくれるものだったので、驚愕したのです。
「表現する自分を模索してもいい」自分を確認するための時間が必要
シューレ大学での経験で、まず思い出すのは『赤鬼』という演劇をしたことです。人と表現することの喜びをフィルターを通さずに正面から受け止めることができました。表現する時に自分に縛られないでいられた経験でもありました。表現のために生きることが自然にできた体験で、一緒に芝居をした人たちと対等でいられた経験でした。この経験が、表現をしていく時の基準のような感覚になっています。
シューレ大学で演劇以外にも、絵画、デザイン、映像、音楽など様々な表現活動をしたり、研究も関心が強く論文も書いたりしました。シューレ大学での様々な探求の中で中心的な関心は表現する自分をどう捉えるのかというものでした。表現する自分を赦すことがなかなかできなくて、そんな自分を疑ってきました。でも、シューレ大学で表現する自分に向き合っていく中で、「表現する自分を模索してもいい」と思えるようになりました。そういう自分を確認するための時間が必要で、表現をするということだけでなく、自分を研究するということがずいぶん役に立ちました。
シューレ大学で得たことと言えば、「尊厳」ということになります。それは、自分が世の中の人たちと対等な存在だという感覚です。以前の私はついつい自分は人より劣っている、自分は人間以下の存在だと感じていたのです。この自分にも尊厳がある、という感覚は、一つの命に優劣をつけなくてもいいということです。
以前は、「自分はどこに居てもいけない、居てはいけないところに居させてもらっている」感じでした。今は、自分の大地に立っており、自分が自分の主という感じを持っていられます。
仕事というのはまず、人ありきなのだと感じている
今、「創造集団440Hz」という社会的企業を、シューレ大学のOB・OGと一緒に立ち上げ、そこで、チラシやカレンダーなどのデザインやアニメーション、ラインのスタンプや挿絵などのイラストなどの仕事をしています。
シューレ大学を修了して2年目を迎える今、社会から傷も負っているので、社会に対する怖さを感じることもあって、自分のあり方が自由自在というわけにもいきません。
しかし、仕事で知り合った人が、立派に社会で活躍していて自分とは違う存在、と思っていたけれど、一緒に仕事をしていく中で、実は、自分と同じ人間なんだと感じられることもあります。また、社会はほとんどのことがすでに決まっていると感じがちだけど、自分が考えたことが相手に受け止められ、形になっていくことがあり、自分も人と一緒に社会を創っている一人なのだと、自分でも社会を創っているようなものを感じることがあります。そんな時などに、仕事とはまず、人ありきなのだと感じるということ。
不登校を体験したことは良かったと思っています。不登校は自分が命がけで選んだという感覚があります。不登校は自分で問いをもち続けるための基盤で、不登校をしたおかげで、常に疑いを持っていられるのです。世の中で正しいとされていることでも、鵜呑みにしないで、自分で捉え直す感覚をもたらしてくれたものなのです。
今、実現したいことは、「もっといろんなものをつくれるようになって、仲間をかき集められるようになって、表現的なことで社会に影響を与えられる集団になっていけたら」ということです。「いろんなことで世界をもっと楽しくしたい」と考えています。
創造集団440Hz