1979年生 ● 王子・シューレ大学 ● 出版・NPO副代表 ● 不登校=8歳(小4)〜 ● シューレ在籍=12歳(小6)〜18歳・19歳〜27歳
息もできないほど辛かった
不登校になったのは小学校4年生の時のいじめがきっかけです。
はじめはからかい程度でしたが、そのうち図工の作品を壊される、靴を隠される、私物をゴミ箱に捨てられると、エスカレートしてきました。
担任が変わってから、ますますひどくなり、別室登校を経て、休むようになりました。親はとても動揺していましたね。不登校についてはある程度の理解はあったものの、腫れものに触るような感じで、自分の葛藤に向き合ってもらえなかったように思います。
小児科を受診、教育センターに通うなどしたけど、計2年半は家で過ごし、悶々としていました。家から一歩でも出ると呼吸できないくらい緊張することがありました。
両親が「親の会」に行くようになり、ありのままの自分を受けとめてくれるようになって、ようやく安心して休めました。
もう一つの道で自分らしく生きる
エネルギーが溜まってきたタイミングで、王子シューレを知りました。当時、1、2歳年上の人たちが元気に活動してたのを見て、自分も徐々に「シューレで生きる」ことに希望を持った感じです。
入会後しばらくして、「シューレ通信」の編集長をやりました。原稿依頼やインタビュー、テープ起こしなど、大変だけど、やりがいありましたね。他にも日米交流旅行や大陸横断旅行、全国子ども交流合宿の実行委員長など、いろんな経験をしました。
社会的な活動にも自然に参加し、次第に積極的に関わりました。94年末のいじめ自殺報道では、経験者として私もマスコミに話をしましたが、97年の「児童福祉法一部改正」が問題となった時の動きは、大きかったです。
「教護院」が「児童自立支援施設」と名称を変え、入所条件を拡大する計画があり、生活習慣の改善などを目的に不登校の子どもも入所させようとしていたのです。家でゆっくり休むことが大事なのに入所させられると、ますます子ども自身が傷つき、追いつめられてしまう懸念を訴えました。
シューレ内で「子どもの声をぶつける会」を結成し「要望書」を作成、700人以上から賛同を得て、永田町の国会議員会館を回りました。民主党がヒアリングを設け、厚生省の課長と会見するなど、直接、自分たちの声を届けることができました。改正案は通ったけど「不登校を理由に入所させない」といった附帯決議が付き、自分たちが動けば世の中は変わっていく、という実感と自信を持ちました。
18歳の時に「シューレ大学」の設立構想を聞き、参加しました。学生自ら運営に参加し、自分に合ったやり方で研究を行えることに魅力を感じました。不登校と医療、日本と海外の不登校やオルタナティブ教育の違いなど、さまざまな学びを経て、自分の世界を広げることができました。
自分の体験から発信を続けたい
その後、シューレの20周年記念出版の企画がきっかけで、2005年に「東京シューレ出版」を立ち上げました。ここ数年は出版業界や本の売れ行きが激変し、出版の世界そのものが問われており、自分自身どう生きていくかも含めて、重要な時期だと思います。
最近は、2013年12月、大津のいじめ自殺事件を契機にチャイルドラインの関係者や評論家、弁護士、性的マイノリティーの方などさまざまな分野の人が集まり、「ストップいじめ!ナビ」という活動が始まり、私も縁があり参加することに。当時「いじめ対策推進法」が国会で討議された折も、メンバーとロビイングなどを行いました。2014年にNPO法人化し、私は副代表兼事務局長として活動しています。
活動はいじめの実態調査、情報共有で、具体的には、アンケートのデータ整理や講演活動、メディアでの発信、メンバーの勉強会、また、実際の学校に行っていじめに関する授業も行います。
現在、様々な場面で生きにくい社会であることを感じています。だからこそ、毎日の生活の中で社会問題を自らに引きつけ、自らが考え、自らの言葉で発信することの大事さを感じています。
90年代は、不登校やフリースクールの存在が注目され「なぜ学校に行かなくなったのか」と問われ、どう答えるかを常に考えてきました。そのような基本的かつ奥の深い問いから考え続けることを、今後も忘れずにいたいですね。
NPO法人ストップいじめ!ナビ
(情報サイト)http://stopijime.jp (団体サイト)http://stopijime.org
東京シューレ出版