1992年生 ● 王子・葛飾シューレ ● アメリカの大学生 ● 不登校=小学2年〜 ● シューレ在籍=小6〜中3
——不登校はいつからですか。
小2の夏休み明けからです。親は転校を考え、しぶしぶ連れて行かれたのですが、小4からどうしても行きたくない思いになりました。
教師が上、生徒は従えという担任に抵抗しました。給食が楽しみで、のこのこ食べていたところを取り上げられた時、ひたすら反抗しました。「お前、学校来なくていい」と言われたことを理由に家にいました。
5、6年は父から「行け」と言われ、毎日のように殴られ、「出て行け」と怒鳴られました。
校長と親で話し合い、仕方なく1日2時間登校しました。テストはだいたい100点を取り、授業は知っている事ばかりでつまらなく、適応指導教室も半年行きましたが、学校復帰を目指す所で嫌でした。
そんな日々が続いた時、母がシューレを見つけてきたんです。
——シューレはどうでしたか。
2004年、6年生の時王子シューレに行きましたが、学校と違うことに驚きました。「学校じゃないんだ」と思い、のびのびと過ごしました。
見学した時、すぐ冬のログハウス合宿に行き、スキー合宿にも行き、絶対入りたいと思い、小6の3学期に入会したんです。すぐ中学でしたが、地元の中学には行かず、毎日シューレに来て、ゲームとかテニスとかよくやっていました。明日は近所の公園の飛鳥山行こうぜとか、楽しかったです。
——その後、葛飾中へ来たんでしたね。
中2の頃、葛飾中の開校準備が進んだため、中3の4月、葛飾中へ来ました。初日からスポーツを思い切りでき、知らない子ともすぐスポーツでつながりました。
1学期には箱根の夏合宿の実行委員会に入り、子どもで合宿をつくって、わがままも言ったけど楽しかった。それが一番の思い出です。他の子達が楽しんでくれ、感動しました。役に立ったんだな、と実感しました。
卒業後の進路は、広いグラウンドでスポーツができ、シューレと似ている私立全日制高校を選びました。1年目は慣れる、2年目は範囲を広げる、3年目は実行委員をやり、楽しみました。部活は「鳥人間コンテストに出よう」というもので、楽しかったのであと1年はいたかったです。
海外で学ぼうと思い、海外系大学の説明会に行った時、「学問とは問い続けることだ」というので、そこに決めました。日本で1年英語塾に通い猛勉強して入学しました。1年目は日本のキャンパスで学び、その後アメリカに来ました。
アメリカに来て2学期目のちょうど終わり、つまり9ヶ月が過ぎた頃です。社会学専攻でアメリカの社会問題や制度について学んでいるところなのですが、これがなかなか面白いです。今、一番興味を持っているのは人種問題ですが、今学期は少し違うものを学んでいます。
その中に家族について学ぶクラスがあるのですが、このクラスは基本的にはアメリカの家族の移り変わりについて学びます。戦争や女性の社会進出などがどう家族の形を変えていくのかを時代ごとに学んでいます。
たまたまこのクラスで子どもの教育というテーマに軽く触れ、それが私の教育に対する価値観を大きく変えました。日本にいる時は学校教育が嫌いで、よく日本の大学生や大学の授業スタイルを馬鹿にしたり、それに劣等感を抱いていたりしました。
しかしアメリカに来て、教育は多様であるべきだと思うようになりました。
日本のような教育もアメリカのような教育も、はたまたシューレのような教育も全て価値ある教育だと思います。大事なことは、自分に合う教育に出会うことだと思います。そうすれば今までとは違った角度で日本の教育を見ることができると思います。