1989年生 ● 王子シューレ ● カフェスタッフ ● 不登校=12歳〜 ● シューレ在籍=12歳〜21歳
私は、小学校の5年生の時に、長野県上田から父の仕事の都合で東京に引っ越しをしました。
その転校先でうまくなじめず、元々クラスにいじめがあり、仲良くしていた子がいじめにあっていて、その子が転校してしまったタイミングで、私にターゲットが移りました。がんばって5年生の間は教室に行き続けましたが、6年生になってからは保健室登校を始めました。
ある日、担任の先生に言われたのか、クラス中の子が保健室に入ってきて、一人ひとり「いじめてごめんなさい」と言ってきました。一瞬、私のいないところで何かがあって、みんなが反省して、いじめはなくなったのかなと思いました。
保健の先生も行くというので、期待して修学旅行に行きましたが、クラスメイトは変わった様子もなく、いじめは続きました。7月末「学校はもう嫌だ。もう限界だ。耐えられない」と母に言って、シューレに行きたいと伝えました。
シューレの存在は前から知っていた
実は、シューレを知ったのは奇跡のようなものでした。長野にいたとき、妹が前の担任が嫌で不登校になりかけ、翌年に担任になった先生が、たまたまシューレの保護者の方でした。
その先生に「東京シューレってフリースクールがあってね、僕の娘もそこに通っているんだよ」と妹が聞いてきました。その事を妹が話していたので、私はシューレの存在を知っていたのです。
シューレに入ったのは、小6の秋ですから、ほとんど不登校で家に居たという経験はありませんでした。しかし入ってすぐにはシューレにあまり通わず、冬までは家でゆっくり過ごしました。
3学期にスタッフの人から連絡をもらい、少しずつシューレに行ったような気がします。その頃スキー合宿やお別れ会の実行委員会などに参加し、徐々にシューレになじんでいきました。
学校がつらいと思っている人に届けたい
シューレ在籍中、私の中で一番がんばったのは、やはり25周年祭で演劇の企画・脚本をしたことです。25年の歴史をつづる劇でした。この演劇は、私の経験に繋がっています。私が学校に行かないと決めて、これからどうするかという選択肢の中で、フリースクールがあったことは大切なことでした。
ちょうど25周年祭と、私のシューレ卒業とが重なり、9年間育った場所に、何か大きなことを残したいと思いました。シューレという場所があり活動をしていて、シューレの人たちががんばって創ってきた25年の歴史があって、今もシューレがあるということを、以前の私のように学校がつらいと思っている人に少しでも届けたい、発信したいと思いました。
劇の土台になったのは、20周年時に子どもの権利が題材の劇に出演した経験があったからです。また、シューレで過ごす中で、音楽活動やダンスなどの自己表現ができるようになった事、機会をもらった事はとても良かったです。
シューレと出会って仲間に恵まれた
シューレ退会後は、シューレに通いながら続けていた飲食店でのアルバイトを引き続きし、自動車免許を取得したりしながら、トータル6年務めました。
そうそう、シューレ在籍中に高校卒業程度認定試験やヘルパー2級も取得しました。その後家族で2回の引越しがあり、コンビニのオープンスタッフを4年務め、南伊豆のゲストハウスではボランティアの経験もしました。現在は地元の病院の中のカフェで働いています。
シューレに通い、転校続きで仲間がいなかった私に、10年来の友達ができたことが、人生においてとても大きかったと思っています。今もシューレの仲間と1ヶ月に1回数人で集まり、音楽をしたりしています。
今、不登校やシューレで過ごした日々を振り返ると、仲間の大切さ、生きる上で様々な選択肢の広がり、優しい人に恵まれたこと、シューレとの出会いは全て縁だったのだと思いました。