1981年生 ● 王子シューレ ● Web会社・ミュージシャン ● 不登校=11歳〜 ● シューレ在籍=11歳〜17歳
猫アレルギーをきっかけに
小学生の頃、喘息やアトピー性皮膚炎がひどく、夜眠れない日が毎日の様にありました。喘息のためか、毎朝、起きると酸欠状態で頭痛があり、しばしば学校を休んでいました。
お昼頃になると、その頭痛も治り、調子が出てくるという感じで、気が向けばそのまま学校に行ってみたり、そのまま休んでみたり、という生活を続けていましたが、ある日、学校に、子猫を拾って持ってきた生徒がいて、その子猫を教室で飼うという事になりました。喘息はひどくなる一方でした。病院にてアレルギー検査をしてもらい、猫のアレルギー反応が出たので教師にその事を報告すると、取り合ってもらえず、「慣れればいいのよ」という様な事を言って軽くあしらわれました。
元々学校の勉強やいろいろな事がイヤだった事もありましたが、子猫の一件がきっかけとなり学校に行かなくなりました。
シューレの事は、親の知り合いの息子さんが通っていて、知る事になりました。親から、『学校に行かない僕から学校に行かない君へ』の本をもらい、こんな所があるのかと思い、見学に行った事が始まりです。
夏休みに入る前に学校に登校し、先生に手紙を書きました。手紙とともに『学校に行かないぼくから学校に行かない君へ』の中に書いてある“宣言”をノートに移しそれも添付しました。面と向かって渡すのが怖かったので、先生の机の上に置いて帰ってきました。
そして、夏休み開けからシューレに通う事に成功しました。シューレに通いだし、いろんな人と話したり接したりしていて、学校とは違いみんなバラバラなんだなぁと感じました。それぞれ違って面白いな〜という様な感じでした。
自分より年上の人達ばかりだったので、ちょこちょこついて行っては、吸収して、この人達より、面白い事をやってやろう!! そんな風に思っていました。それくらい、新鮮で面白い事にチャレンジしている人がいっぱいいて、刺激をうける毎日でした。学校の勉強やコロコロコミックに書いてある事以外の大部分は、シューレで覚えてきた事で頭の中を埋め尽くしていました。
シューレには、最初は自転車で通っていました。1時間くらいの距離でした。道や区の名前を覚えました。電車で通うようになってから、鉄道の名前や駅を覚えました。公立の小学校に通っているよりも遥かに行動範囲が広く、いろんな事を覚えました。その連続で今までがあるように感じます。
ウェブ・音楽・映像 クリエイティブなことをもっと
学校に行かなかった事は良かった事だと思っています。とくに義務教育の範囲内は。今思うともし学校に行っていたら、どんだけその時間を無駄に使ったのかと考えてしまいます。
24歳の時に初めての子どもができてから、やっぱりお金を稼がなきゃと思い、ホームページを作る仕事をして、後に独立しました。
その間も音楽活動は途切れず続けてきましたが、そろそろ自分をだましきれなくなったというかなんというか……音楽をまた本格的にやりたい、クリエイティブな事をもっとやりたい、音楽や映像をもっと楽しみたいと思っています。
子どもが大きくなり、一番上の子は、僕の不登校時の年齢になってきたというのもありますが。妻の気持ち、子どもの気持ちを理解する事が一番大変です。
最近、不登校だった事や鍵っ子だったこと等をテーマにソロ音楽集のリリースを考えています。制作もそろそろ終わるので年内を目指しています。それをリリースしながら、僕はこれから作曲家をめざそうと思っています。というか、作曲家になります。ご依頼ください!
ちなみに、埼玉県の某幼稚園の卒園歌なども作った事があります。新しくやりたい事が見つかったので、それを実現させる為に、日々悩みなから生きています。
mojo works http://www.mojo-works.com