1976年生 ● シューレ大学 ● 社会的企業社員 ● 不登校=中1(さみだれ)〜
自分は弱い、強くならなきゃと考え、苦しみ続けた
中学校で男の子は髪を丸刈りにする校則がありました。友人がそれに疑問をもって髪を切らず、最終的には髪が伸ばせる中学校へ転校しました。私は彼の意思を引き継ぐ思いで、髪を伸ばし始めるんです。
そうすると、先生は〈指導〉してくるし、同級生も「ずるい」と言ってくるなど、学校は常に臨戦態勢の緊張する場所になりました。2年生の秋に生徒会の役員になり、校則を変えるための議案書を書きました。ところがその議案書を教師に握りつぶされることがあったりして、学校に通い続けることにも、髪を伸ばし続けることにも何もかも疲れて、3年生の途中に学校に行かなくなりました。
休んでいる時、将来どうしようと考える中で〈不登校の自分は弱い〉と思い、自分を鍛えるために就職を決意しました。2年弱ほど働いたあと、サポート校を経て、都内の一般大学に入学しました。大学には、どうしても馴染めず、単位もほとんど取れませんでした。この時期は本当に孤独で、劣等感に苛まれ、苦しい時期でした。
そんな中、不登校から目をそらしていた自分に気づき「不登校にまっすぐに向かい合おう」と思いました。そして不登校や教育関係の会合やイベントに行くなかでシューレ大学と出会うわけです。
シューレ大で出会った解放感
シューレ大学に入った頃は、学生たちが自由に活動するのを見ても「だれか牛耳る人がいて、その人の言うとおりにしないといけないのでは?」と思っていました。でも、初期に参加したソーラーカープロジェクトなどを通して、自分から出発して考えていい、と実感できるようになりました。メンバーとぶつかったとき、おたがい率直に言い合うことでうまくいったんです。それまでの経験から「人間関係は合わせるか、合わせさせるしかない」と思っていた私にとって、新鮮な驚きでした。
シューレ大の講座は、自分が知りたいことを知れるものばかりで、一般の学校とはまったく違いました。「学歴社会・不登校」という講座では、学歴社会が形成される歴史と、不登校から来る劣等感が、切っても切れないことを発見しました。その経験は〈自分から始まる研究〉につながっていきます。「なぜ自分は不登校したのか?」「なぜ自分は社会から外れているのだろう」などを、自分の体験をベースに深めていくんです。「どうすれば人や自分を傷つけずに働けるのか」とか「自分の否定感の根本を探る」など、シューレ大の後半は、研究に多くの時間を費やしました。「働く」に関しての研究は、その後の起業につながっていきます。
変わり始めている社会の一端を担っている
2010年にシューレ大学の仲間と「創造集団440Hz」という社会的企業を立ち上げ、私は主に映像の企画やホームページ制作などを担当しています。シューレ大学修了後も〈自分から始まる研究〉を続けていて、歴史について学ぶ時間を仲間と持っています。学び続けないと、僕は僕の生きたいように生きていけないと感じています。
それに絡んで最近考えるのは「どうして戦争を望むような人たちが政権を担い続けているのだろう」ということです。数年前に亡くなった弁護士の土屋公献さんは「戦争は人権無視の最たるものだ」と言っていました。戦争を望む政治家を選び続けているのは私たち自身なんです。私たちの一人ひとりが、自分と他者を同時に尊重できるようになっていくことが社会を成熟させていくのではないかと思います。
子ども・若者はレールから落ちないように周りに必死に合わせています。頑張らないと負け組になるという不安にさらされています。そのような状況の中、〈自分や他者を尊重する〉というやり方の私たちの会社が存続できていることは、世の中が変わり始めていることを示していると思います。そして、440Hzで働くこと自体が、変わり始めている社会の一端を担うことである、ということをこの5年間で実感しています。
創造集団440Hz