1993年生 ● 葛飾シューレ ● 大学生 ● 不登校=中1〜 ● シューレ在籍=中3
日本とタイのギャップ
私は、中学に入学する時にタイから日本に帰ってきて、不登校になりました。多分、日本とタイのギャップが大きかったのかな。日本のせかせかした感じや、校舎の雰囲気、よく分からない校則とか……。タイは“いろいろ気にしない”雰囲気だったから、タイの当たり前が日本では違って、日本っていう国が、上手く受け入れられなかったんだと思う。その後、タイに戻って、すごくホッとしました。1年間は家で過ごしました。確か、壊れかけの小さいデジカメを父にもらい、ずっとマンションのプールサイドを撮っていたのがこの時期。プールの水面がきれいだった。多分、今に繋がる最初の撮影だったかなと思います。
自分の器が広がった
シューレ中のことは、インターネットで知って、文化祭を見るためだけにタイから飛行機で来ました。台風の日で大変だったけど、人形劇がすごく印象深かったな。雰囲気があったかいなって感じたのをすごく覚えています。あと、シューレの入学試験の時、奥地さんが最初に「今日はよく来てくれましたね。」って言ってくれたの。その時、まずその場所に行くことが、結構力がいるってことを分かってくれてるんだなって思って、すごくホッとして、シューレ中に来てよかったなって思いました。
シューレ中での1年間は、濃かったな。1年でたくさん吸収したと思う。いい体験をさせてもらったし、いろんな人がいて、みんな違うことが分かった気がします。人の感覚や意見は、それこそ十人十色。それってすごくいいことだし、いろんなコミュニケーションが取れるようになったことも私の武器になった。あと、イベント時の団結力っていうか、みんなで創って終える感覚がすごく好き。シューレでいろんな人と出会い経験したことで、自分の器が広がったなって思います。
作品を通して、自分が見えてくる
シューレ中を卒業後、いろいろあった高校生活を経て、高3になる時、進路について悩みました。けれど、高校の授業で写真をやった時、結構好きだなって改めて思って、写真のことが学べる大学を考え始めました。大学入学までも波瀾万丈でしたが……。
今、大学3年生。作品作りが中心の生活かな。昨年の後期制作では、70人いる2年生の中で、初めて選抜されました。
制作は、大きさと枚数の指定以外は、テーマも形も自由。私は、紙でなく布に写真を印刷して、1枚ずつ自分で切って張り合わせ、正方形に製本しました。表紙もべニア板にレーザーカッターでタイトルを彫ってもらったものをつけて。先輩たちの作品と較べると、まだまだ全然ダメだなって思うけど、もっとがんばろうと思えたし、すごくいい経験だったなって思います。
最近思うのは、作品を作っていくと、自分が見えてくる感じがあるってこと。自分を少し客観的において、作品の雰囲気をもう1回見直してあげたり、その作品を本当に凝って、いっぱいの愛で作ってあげれば、何か自分のことも好きになれるし、ちゃんと愛してあげられるなって思えます。
作品は、作るまでがとても大変。案が出るまでが長いし、ひたすら時間とお金に追われているけれど、作る過程で、作品ってやっぱり自分に似ているなってことを見つけられるのが幸せです。
大学は、専門的なことを少しずつ学びつつ、自分の表現方法を探していけるので、好きなものを好きなように表現できるこの時間が、すごく大切ですね。作品に追われたり、就職などの不安もいっぱいあるけれども、大学でのこの時間は、ふわっと幸せな時間で楽しいです。
将来は、写真が人と関わるためのツールになるようなことをしたいんじゃないかって、最近思っています。