1971年生 ● 東十条シューレ ● 建築会社社長 ● 不登校=中2〜 ● シューレ在籍=中3
全員敵になった
僕は、中2で登校拒否をしました。友達はたくさんいて、まあ、ワルのうちだったかな。ある時、グループのリーダーを怒らせてしまい、リーダーが僕のことをシカトしろと皆に言ったんです。殴られ、けられ、引っ張られ、さんざんでしたが、ワルのグループにいたから先生にも相談できず、透とは仲良くするな、と指示が出ていて、全員敵になりました。休み時間は恐くて、トイレに逃げ込んでいました。たまらない日々で、仮病をよそおい休むことを考えました。
でも親は欠席を認めず、どなり、問いつめてくる。孤立無援で、部屋から1歩も出ない生活になる。それでも父は鍵を開け入ってきて、むりやり車で送る。泣いて力も出ないのに仕方なく行くふりをして家を出たりしました。
ある日、カウンセラーから、父は「甘ったれは突き放すのがいい。北海道あたりで牧場に預けるように」とアドバイスを受け、実行するのです。
父から「連休、リフレッシュのため北海道の牧場に連れて行ってやるぞ」と聞いて喜んだんですが、牧場に着いて僕が馬で遊んでいると、レンタカーが走り去るのが見えました。急いで牧場の人に聞くと、父は帰った、君は学校へ行っていないんだからここで自分を鍛え直すため預かった、と言われ、騙されたことを知りました。その時の衝撃は忘れられません。
朝5時起き、お金も持たされず、家に電話もダメと言われ、厳しく働かされるガマンの日々で、どうしたら家に帰れるか必死で考えました。そして、牛のお産の翌朝は、牧場の夫婦は朝寝坊することが分かり、次のお産の日、逃げることを決心しました。
窓下にそっと靴を回しておき、朝四時半、窓からそっと飛び降り、ドキドキしながら広い牧場をひたすら国道まで歩きました。隣の牧場の犬が吠え、飼い主が起きてきてどうしようと思い、「オフクロが病気で帰宅します」と言うと、車で高速バスの所まで送ってくれ、バスに乗せてくれました。「おじさん、ごめんね」と心の中で言いました。
空港に着いて、家に電話をかけ必死に「迎えに来てくれ、反省した、学校へ行く」と頼んだら、やっと父が千歳まで来てくれました。帰宅した後は、親を許せなく、母にメチャクチャに暴れ、父には力づくで押さえ込まれ、伯母さんに一部始終話して、それから3年間は伯母の家で暮らしました。
シューレが無かったら今の僕は無かったでしょう
その伯母さんが東京シューレを知っていて、東十条のシューレを訪ね、すぐ入ることにしました。学校の雰囲気とはまるで違い、心が安心できました。友達がすぐでき、スポーツやおしゃべりで楽しく過ごしました。シューレは居場所でした。シューレが無かったら今の僕は無かったでしょう。18歳の頃、父に言われしぶしぶ知り合いの会社に就職、20歳の前に母に死別、本気で自力で生きることを考えるようになり、職場結婚しました。23歳で工務店に就職、建築士になりたいと考え、働きながら夜間、専門学校に通いました。生まれた長男のためにも後に引けず、小3からやり直しの準備講座も受け、毎日のテストや宿題も眠い中がんばり、27歳で国家試験に合格、建築士の資格をとり、30歳で自分で自分の家も建てました。その後、独立を考え、今は都内で建築会社を経営、取締役社長をやっています。子どもは現在16歳と5歳になり、家族で旅行やサーフィンに行き、キックボクシングも一緒にやり、「3兄弟」と言われるくらい親子仲良しです。昨年、お世話になった伯母さんの金婚式のお祝いに温泉に連れて行ってあげ、喜んでくれました。
仕事が難しい時もありますが、僕はいつもピンチはチャンスと思って逃げないで向き合いますね。人生で大切と思うのは、人とのつながりです。お客、仕事仲間、前の会社の上司、中学やシューレの友達、皆に支えられて今があります。