1987年生 ● 王子シューレ ● フリーター ● 不登校=小4〜 ● シューレ在籍=15歳〜20歳
行き渋りが続いた小・中時代
私は、保育園の時から行き渋りがあったと母から聞いています。小学校1年から、何となく学校での理不尽さのようなものを感じ、小4から休み始めました。行こうとするとお腹が痛くなるのです。そして、休んだ時は不安になり、理由にならない理由で休んでいる自分が許せなくなって、つらい気持ちで外にも出にくくなっていました。
ある日、母が、どうせ家にいるなら楽しいことをしようよ、と言って、私を遊園地に連れて行ってくれました。遊具に乗っている時、今学校がある時間なのに私はこうして楽しんでいる、楽しんでいいんだ、と思え、それからはだいぶ楽になりました。
5年では先生から声がかかって保健室登校をし、6年では家にいて、絵を描いたり、ゲームをやって過ごしました。スーパーに行くと店員に「学校は?」と聞かれ、嘘でごまかしたものの自分が惨めになって、帰り道、橋の上で「死にたい」と思ったこともありました。
中学も行く気になれず、暇をもて余し、前に教えられていたシューレに初めて行きましたが、緊張し、びくびくして、見学だけに終わりました。中2の頃は、家で過ごすことが退屈になり、学校に通い、相談室の住人になりました。
高校の合格発表の頃になって慌てました。「皆行くところがあるのに、私は明日からどこへ行けばいいの」と気がつき、シューレのことを思い出し、親に連絡を取ってと頼みました。
今度は、次に私が行く場所はここだと思えたのですが、片道2時間近くの遠方で、続くか心配でした。しばらくはなじめず壁に向かいマンガを読んでいましたが、スタッフの対応がよく、何があるかを知らせてはくれるけど、無理には誘ってこないので安心できました。
活動好きになり、笑えるように
半年たった頃、イベントの花飾りを作っていた子たちが声をかけてきて、一緒に作りました。その時自然におしゃべりでき、大笑いもしました。「あ、私、笑ってる」と思いました。それ以来、シューレで過ごしていいんだと思え、活動好きになっていきました。その後も、シューレ通信の編集部に入り、20周年特別号を作ったり、編集長にもなりました。
「私が私であるために」という劇を作り、東京はもちろん、全国でも上演した経験があります。子どもの権利条約が守られていない・いるで、ビフォーとアフターとし、学校版・家庭版をそれぞれ劇にしたもので、大好評でした。
コンビニでの仕事 その先のことを考えながら
08年3月、21歳になるため退会、コンビニのアルバイトを週4やり、そこが移転する際は新しい店舗の開店準備を全て行い、約2年働きました。別の仕事もしてみようかと国の緊急雇用人材育成講座を受講しましたが、そこで勉強したことを使っての仕事は、自分には向きませんでした。
しばらくのんびりしてから、またコンビニで働くことにして、それから4年になります。朝6時〜11時まで午前中勤務で月〜金、忙しい時は8時間のシフトも入れますが、この働き方は午後好きなことができるので気に入ってます。
レジ打ちが主ですが何でもやります。楽しみは、お客が少ない時の、顔見知りの人とのちょっとしたおしゃべり。土・日は、読書・パソコン・TV・趣味の絵や文を書くこと等やってます。だいぶ仕事に慣れてきて、自分に余裕も出てきたので、本当にやりたいことをそろそろ見つけたいと思っています。
東京シューレに出会ったことは大きな意味がありました。私は一人でいることも好きな人間ですが、でもその自分を認めてくれている空間がある、自分を尊重してくれている人がいる、ということが実感できたことです。
今、大事なのは、人との関わりです。旅立ちの時の色紙に皆が一杯書いてくれたことに表れているように、不登校への偏見が少しでも無くなるよう、私自身がしっかり生きていきたいです。