1979年生 ● 王子シューレ ● 保育士 ● 不登校=小4〜 ● シューレ在籍=中3〜19歳
小3で不登校、中3でシューレへ
私は小4からの不登校です。理由はわかりませんが、朝学校のことを考えるとドキドキして行きたくないと思ったのが始まりです。
ムリに行かせると悪化すると親は考えていたようで、促されはしたんですが、むりやり行かされることはありませんでした。でも「学校は行くべきところ」と考えていたので、後でシューレに通わせてくれたのも、学校へ戻るステップと考えていたようです。
担任は定期的に家に来て、玄関先で親と話していました。私はいやだったので部屋から出なかったのですが、6年になった時、このままでは卒業できないという話が出て、親が学校に行って何とか無事卒業は決まりましたが、卒業式の1週間前から登校しました。
中学入学後約1ヶ月間通ったのですが、何となく毎日がしんどく休むように。登校する事はとても嫌でした。
昼夜逆転が進み、夕方起きて、深夜ラジオを聞き、絵を描いたり、マンガを読んだりして明け方に寝る生活をしていました。学校へ行かない自分はダメだと思っていたし、母親はあきらめて見放した感じでつらかったです。
中3の頃、自分からどこかに通ってみようかなという気持ちが出てきて、シューレに見学に行き、1週間で楽しくなり入会しました。それが94年1月ですが、その後、シューレの夏合宿(北海道)に参加し、友達もでき幸せでした。
次の年の夏、ユーラシア大陸横断旅行に行きますが、1ヶ月も家から離れられる嬉しさで、すぐ参加を決め実行委員会に入りました。海外は初めてで、毎日のミーティングがしんどい時もあったけれど、いい経験でした。
ふだんは、毎日来て友達としゃべって、オカリナやったり、手話やったり。奥地さんの国語に出たり。どうしてじゃがいものことを馬鈴薯というか、とか。親との関係をテーマに話し合ったり。
あと、親が「そんなんじゃ社会でやっていけないよ」というので、必要があればちゃんと起きられることを見せつけたくて、朝6時からの早朝バイトを半年位続けましたね。
通信制大学を卒業、保育士へ
19歳までシューレに在籍。保育士になりたかった私は、通信制大学を卒業、保育園で働き始めますが、初めは臨時職員で、勧められて公務員試験を受け、正職員になりました。そして結婚し、子どもが生まれ、自分の子を保育園に預けながら働いています。
始めの方は楽しくて楽しくて、「こんなに楽しい仕事があるのに、なぜ世の中の人は保育園で働かないの」と思っていました。でも、昔の方が保育のことで悩んだりしたけれど、今はすっかり仕事に慣れてしまい、傷つくこともなくなる。それって自分が子どもの頃の気持ちでいない、ということでもあって、そんな自分がちょっと嫌な時もありました。
親として自分の原点を確かめる
今、上の子は小学校2年生で、下の子が3歳になります。下の子の妊娠時、つわりがひどく病休をとり、続けて育休をとり、あわせて3年間の休みをとっています。
昨年夏、浦和で「登校拒否・不登校を考える夏の全国合宿」が開催され、私も参加しました。昔、シューレにいた子ども時代、全国合宿に子どもとして参加していた頃、大人は子どもの気持ちを分かっていない、と意見を言ったりしていましたが、毎日の子どもや夫、家族との生活の中で、子どもの気持ちを考えるより、こうさせなければ、こうして当たり前と常識に流されている自分に悩んでもいました。
35歳で参加して、人と向き合い、自分と向き合い、原点を確かめることができ、スーッとしました。今もやっているという「考える会」(シューレで月1回やっている親の会)に時々行って、世間の価値観に流される自分の原点を問い直ししたいと思っています。