1991年生 ● 新宿シューレ ● IT系会社員 ● 不登校=11歳〜 ● シューレ在籍=14歳〜18歳
自己否定の期間
同じ小学校だった友達数人と中学校に進学したが、その友達にイジメられるようになった。何が原因かをメールで聞いても「死ね」という返信が届くだけで、原因を知ることすらできなかった。母は、いじめメールを証拠に先生に連絡したり、相手の親に問い質したりがんばっていたが「母子家庭だから教育に問題があるのでは」とこちらに責任を押し付けてくる加害者側、自宅訪問で僕の顔を一瞬確認しただけで帰る担任など、味方になってくれる人はいなかった。
母は元のレール(中学校)に戻そうとし、別の中学に転校。転校先では、既にグループがあり、そこに一人投げ込まれたストレスに耐え切れなくなり1日で通学しなくなった。その後、家で過ごすようになる。家では、オンラインゲームの世界に飲み込まれていったけど、母の焦りと社会復帰しなければという圧力を感じ、精神的には改善しなかった。「自分はダメな人間なんだ」と自己否定につながり、その現実から逃げるようにゲームする時間が増えていった。現実逃避の僕は、本気で死ぬことを考えマンションから飛び降りかけたこともあった。母が号泣して僕を止めてくれた。
ゲームを楽しんでいた日常
中2の頃、母から今度こそという気持ちで説得されたのが「東京シューレ」。母のためにも僕は入会することに。
一番の幸運は、同じ日に同い年の人と入会したこと。曜日を決めて一緒に通ううち気づいたら毎日足を運ぶようになった。趣味の合う友達とゲームする生活は充実していた。その後、いろいろな人と遊ぶようになり、引きこもり時代も決して無駄ではなかったと感じるようになった。
高1の頃、同い年の友達が「高卒認定試験の勉強をする」とポロっと言った。毎日ゲームしか考えてなかった自分にとって、同い年の人がそう考えているとは衝撃だった。その日、母に僕は思いもかけず「高認を取る」と言っていた。だが高認の情報を調べて満足し、試験2週間前までほとんど勉強はせず、結果2度の受験で全科目合格、再びシューレで遊ぶ日常に戻っていった。
あるプレゼンからつながった就職
大学年齢になった際、大学に行くなら勉強しないといけない焦りから、シューレを卒業、塾に通うことに。ただ塾は自分には合わず、大学にそこまでして行きたいとも思わなかったので塾を辞めた。シューレに戻ることも考えたがプライドもあり、引きこもるように。「このまま社会復帰できないのではないか」と精神的にも落ち込んでいった。
そのまま何もせず、1年が過ぎようとしていた。このままだとまた1年棒に振ってしまうばかりか、一生社会に復帰できないという焦りから、元々好きだったパソコンが勉強できる専門学校に行く決心をする。いろいろな専門学校を見学し、締め切りギリギリでHAL東京に応募、入学することになった。
専門学校の授業の一環で、2月に学内で個人作品のプレゼンテーションを企業に向けて行う機会があった。僕もプレゼンしたその時、企業人事の方に僕を凄く気に入ってもらったのである。
そして、その場で企業説明会に誘われ、1次、2次面接とトントン拍子で進み、最終面接までいった。面接では、半生を全て嘘偽りなく話した。イジメや不登校、シューレで出会った友達と今でも仲良くしていること、社会復帰して母に恩返ししたい気持ち……。結果、内定を頂くことに。こんな自分でも受け入れてくれる会社があるのかと、本当に凄い自信となった。
後に「不登校という挫折を乗り越えたことが評価された」と教えてくれた。不登校がプラスの評価に繋がり、就活の武器になるとは思いもしなかった。自分は他に、どのような企業に入れるのか、就活に興味が湧いてきた。
その後も、行きたい企業を中心に就活を行い、L社から内定を頂いた。そこの面接でも、最初の企業と同様に今までの半生を包み隠さず伝えた。
2014年4月にL社に就職、現在社会人2年目を奮闘中である。