1988年生 ● 王子シューレ ● 衣装工場職員 ● 不登校=小1〜 ● シューレ在籍=14歳〜18歳
小学1年生から家で安心して過ごしていた
私が不登校になったのは、小学1年生の時でした。人見知りがはげしくて、我が強い子だったので、周囲になじめなかったし、お行儀良く座ってみんなで一緒にということに抵抗がありました。
当時、5歳上の姉も学校へ行っていなかったので、両親も、行かないことには肯定的でした。だから私も、学校に合わないから行かないという感じで、すんなり不登校を受け入れました。
家では姉と一緒に過ごし、絵を描いたり、小物を作ったり、本を読んだり、やりたいこと面白いことを見つけて、いろいろやっていました。
また母や姉と、足立区の不登校の親の会に行き、そこで出会った姉の友達の家にも行って、お兄さんお姉さんに遊んでもらっていました。
小6の頃から、もっとたくさんの友達に会いたい、という気持ちが芽生えてきて、母親にどこかほかの場所に行きたいなと言っていました。母親がシューレを親の会で聞いてきてくれて、見学に行くことにしました。
皆違う人間と見られるようになった
シューレに入ったのは、中2の時でした。実は私、見学の初日から入会するつもりでシューレに来ていたんです。合わなかったら見学を辞めればいいと思っていました。フロアーに案内されると、みんなとても賑やかで気後れしてしまい、ここでやっていけるのかなと思いつつ、自分もこの中に入って一緒にやれたら楽しいんじゃないかなと思いました。
シューレでは、いろいろな活動に参加しました。シューレ通信編集部、合宿、ダンス講座、バンド活動、実行委員会もたくさんやりました。
その中でもダンス講座は、自分が初めて受けた講座で、1ヵ月しか参加していないのに、「舞台にたったら?」と誘われ、踊っている人達がとてもかっこ良かったので、自分もできたらいいなと思い参加。お客さんの前で舞台に立って、自分もこれから表現できるかもしれないと自信がつきました。
シューレで一番大好きな時間は、友達やスタッフと話し過ごした日常です。それが今の私の身になっています。また、シューレと出会って、人を偏見で見なくなったと思います。年齢や学歴などで人を見るのでなく、一人ひとり皆違う人間として見られるようになりました。
生きたいように過ごして選んだ結果がシューレだった
シューレを退会したのは18歳の春です。シューレに通っていた時から通信制高校に通っていたので、19歳で卒業して服飾の専門学校に進み、22歳の時に縫製工場に就職しました。
縫製工場で3年務めたあと転職し、現在の縫製サンプル工場で働いています。前の職場と違い、サンプルなのでタレントさんの衣装やミュージシャンのステージ衣装など一点物を作ったりしています。10名ぐらいの職場なので、人間関係も良く毎日楽しいです。
今は仕事の流れをつくったり、指示を出したりする仕事を任されており、大変だけれどやりがいはあります。何より、仕事で一つの物を作り上げる喜びがあり、たまにテレビ等で自分が作った衣装を見かけると、とても嬉しくなります。将来は自分の子どもに洋服を作ってあげたいと思います。
不登校のことは、あまり深く考えたことはありませんでしたが、自分が生きている中で、一番合っているなという環境を選択したら学校ではなかったという話で、生きたいように過ごして選んだ結果がシューレだったと思います。
そして振り返れば、シューレでいろんな体験をして、当時一緒に居た仲間と共に過ごせたことが、今の私にとって本当に良かったと思います。