1980年生 ● 大田・シューレ大学 ● 社会的企業社長 ● 不登校=中2 ● シューレ在籍=中2〜18歳・18歳〜29歳
私は千葉県柏市出身で、父、母、妹、祖母がいます。小学校は不登校の「ふ」の字も知らずに6年間過ごしましたが、中学2年で学校へ行かなくなりました。中2の春にクラスで孤立したことをきっかけに、入学時から学校の在り方(厳しい服装規定などの校則、先輩後輩の上下関係など)に疑問を抱いていたこと、学校の勉強に対し自分の人生への意味が見出せなくなったこと等が重なり、3学期からは1日も行っていません。
それからすぐ、自ら望んでシューレの大田スペースへ入会しました。柏から一番近い王子シューレはその頃、会員数が膨れ上がり「入会は3カ月待ち」と言われていました。
シューレでは、学校に行かない在り方を選ぶ子どもたちと出会ったことがとても大きかった。当時の私はそれまで「学校は行くべき」と思っていましたが、学校が合わなければ行かなくてもいいという価値観に出会い、そういう生き方が自分には合っているとすとんと腑に落ちたような感じでした。
不登校経験の捉え直しをしながら
その後シューレ大学に移り、20代のほとんどはここで学びました。ここで得たことの一つは、話し合いを元に場や物事をつくっていくことを、繰り返し学んだことです。
これは今の働き方にも直結しています。映像表現との出会いもありました。元祖登校拒否児でマルチ・メディア・プロデューサーの故羽仁未央さんに背中を押してもらい、古今東西の映画を観る企画を経て、私はビデオカメラを手にするようになりました。
中でも影響を受けたのはセクシュアル・マイノリティなど、その人ならではの背景を元に映画をつくる監督たちです。自分も今の時代の日本に生きる私だからこその作品をつくりたいと思うようになりました。
また、自分はなぜ学校が合わなかったのかを改めて考え、不登校経験の捉え直しができました。あらゆる場面で「できる・できない」の振り分けをされてしまう学校の中で、私は「学ぶ」ことに対して少しずつ傷つき、できない感を蓄積していったと気づいたのです。
でも今は、中学時代に苦手感の強かった歴史を学ぶことがとても楽しいです。自分に合ったやり方を選ぶことができれば、なんでも面白いのだと思います。
シューレ大でようやく自身の輪郭を捉えられるようになってきた私は、社会と意識的に関わり、表現をしていきたいと思うようになりました。
産声を上げるように立ち上げた「創造集団440Hz」という会社で
2010年の夏、シューレ大の仲間と共に、映像とデザインを手掛ける会社「創造集団440Hz」を立ち上げました。440Hzとは、音階の「ラ」の音を指しますが、世界中の赤ちゃんが産声を上げて泣くときの高さだと聞き、社会に対して根源的に声を上げようという思いを込めました。
ミッションは、不登校の経験を持つ背景や互いの在り様を尊重することを大事にして、国内外のオルタナティブ教育を紹介し、マイノリティへの理解を広める活動などを掲げています。私はここで主に、映像制作の仕事を担っています。
自分達で会社を運営していくのは大変ですが、私は人生における働く時間を賃労働のための我慢時間にしたくありませんでした。また、両親が自分のやりたい仕事を懸命にやっている姿を見てきたのも大きな理由かもしれません。
私には支え合える仲間がいます。もし「財産は何か?」と聞かれれば、仲間であり、友人であると答えます。助けてくれる人達もいて、それは何事にも代えがたい存在です。
今は学校に行った・行っていないに関わらず、多くの人にとって生きるのが大変な時代ですが、私たちは弱肉強食とは違う形で生き残ることを目指しています。自分で始めた事だから、困難があってもなんとか踏ん張れるとも思っています。今後も、この小さな会社を大事に育てていくつもりです。