1982年生 ● 新宿→ホームシューレ ● NPOスタッフ ● 不登校=小6〜 ● シューレ在籍=13歳(中2)〜27歳
家で育つことを選んだ
現在はアルバイトでホームシューレのアシスタントスタッフをしながら、作業療法士の資格をとるために夜間の専門学校に通っています。平日はほぼ出ずっぱりで、ひと月のうち9割を家で過ごしていた頃からは信じられないんですが、どうにかこうにかやれています。
不登校は小学校の高学年から始まり、中学卒業と同時に「さらば、学校よ」とすっぱりさよならをして、家にいることを選びました。新宿シューレにも1、2年通っているんですが、“通う”形が合わず、ホームシューレに移ったんです。それからは両親がわりと放っておいてくれたこともあって、のほほんと趣味のイラストやゲーム、パソコンに没頭して10代、20代の前半を過ごしました。
働くことへの不安
基本的には楽しい生活でしたが、やはり『進路』や『働くこと』の不安と悩みは常につきまとっていて、ともすれば「この先自分には何ひとつできることなんかないんじゃないか……」という考えにおそわれては落ち込むことをくり返しました。
ものすごく焦った気持ちになってバイトに応募したこともあって、運よく働けることになったんですが続かなくて、かえって落ち込む結果になったこともありました。それからしばらくは働くってことを具体的に考えることも怖かったです。
転機はホームシューレで『ボラバイト』に参加したことでした。「将来的に働きたい希望があるなら、定期的なペースで働くことを体験しながら進路を考えてみない?」という提案が、その時の自分の希望に沿っていたんです。
外で働くことはまだ怖かったけれど、ホームシューレでは当時も発送作業のボランティアに参加していて、スタッフさんたちの顔も知っていたし、同時期にボラバイトメンバーになった友達に会うことも、毎回の楽しみでした。
ホームシューレの仕事が自信につながった
ホームシューレのスタッフさんがお一人辞められた時の人員補充として、バイトに入れてもらい今に至ります。迷って迷ってウロウロしていたらここにいた感がとてもあるんですが、この数年間とてもいい経験をさせてもらっています。
仕事では子ども・若者の会員さんと直接関わるので、初めは怖々と話をしていた子が楽しそうに好きなものの話をしてくれたり、どんどん頼もしくなっていく様子を見ていて、私自身とても元気をもらいますし、子どもたちが安心して参加できる場所を作るためにと、いろんな工夫をしている現場にいられることは、今すごく勉強になっています。
今目指している作業療法士はリハビリに関わるいろんな仕事がありますが、根底には生活の質を高める、その人らしい生活を目指す、といった考え方があります。
ホームシューレでお手伝いをしてきたこの数年間で感じてきたものと、とてもなじみ深い考え方でした。もの作りが治療になるというのも面白そうだったし、自然にやってみようかなと思えたんです。
たぶん以前の私だったら、自分には無理と思うほうが先で、やりたい気持ちは出てこなかったと思いますが、この何年かの経験が自信につながったのかなと思います。
家で楽しく過ごせたことが今の原動力
安心していられる場所として家(家庭)があったことで、学校に行っていないことにとらわれずに、好きなこと、興味があることを自由にできたことは、とてもありがたかったと思います。
少なくとも今の仕事に関するスキルは、もともと趣味でしかなかったイラストやゲームやパソコンでついたものですし、純粋に楽しかったです。新しい画材を試したり、ホームページを作ったり、次は何をしようかなーとわくわくしながら遊んでました。
技術的に得たものよりも、思いついたこと、新しいことを試すこと、知らなかった知識を増やすこと、同じものが好きな人と話すことの気持ちよさ、楽しさをたくさん体験してこれたことが、今の自分が仕事をするとか、勉強していく時の原動力になっていると思います。