1988年生 ● 王子シューレ ● 会社員● 不登校=小1か小2〜 ● シューレ在籍=小5か小6〜
──学さんは、18歳からアルバイトを3年、そのまま同じ職場で正社員になって6年になられますね。今26歳、現在のお仕事は?
僕は「株式会社JKで働いていますが、JKはダンボール製品や紙什器を作っている会社です。その中で、僕は設計の仕事をしていますが、材料の手配や営業、機械での製作など何でもやります。
社員は12人、面白い人、癖の強い人ばかりいて、僕も面白い人の一人と思いますがいい人ばかりで、 全てが楽しめています。この春、主任になりました。
──どんな一日なんですか。
6時半に起きて7時に家を出、8時から17時15分まで勤務、昼休みは食後、20分の昼寝をします。これがとても効果的。18歳の頃仕事を始めたばかりの時は、何であんなに疲れてばかりだったんだと思うけど、今はとても体力があります。
自分で稼いだお金で一人暮らしをしていて、快適です。僕はラーメンが好きで、今日は上野駅でおりてあの店、昨日は川口駅のあの店と、お気に入りの店へ行くのも楽しみです。20歳から家賃も自分で 払うようになりました。
──働いている時の大変さや楽しみは?
大変さは今はないですね。バイトの頃はまだ慣れなくて。今は、とっても楽です。僕は仕事を振り分ける立場ですが、その人が仕事をし易いように配慮しているんです。それが楽しい。人はいろいろですから、その人に合うようにどういう頼み方をするか、どこまでやって任せるか、とか気づかいしています。
──そういう気配りって、シューレにいる頃からやっていましたね。シューレに入会したのは、いつからですか?
小5か小6です。僕は小学校1年か2年で不登校になった。学校が合わなかったし、それに、母が学校が嫌いだったので僕も合わせてたかも。で、母 と毎日ゲームセンターに行っていました。
当時栃木県にいて、村八分的感じの目線で、夕方行くしかなかった。そうしているうち、父と母が離婚することになり母と僕は東京に出てきて、学校へ行く気はなく、母も行かせる気はなく、前から知っていたシューレに入った、という流れです。
──シューレで印象に残ることは?
ゲームをやれたことですね。とにかく、のんびり過ごせました。マンガも読みふけりました。ともかく、休みたかった。
シューレ時代、他の子と違うかもしれないけど、僕にとっては、家庭のことがいつもいつも大変で、本当に、どこで生きていけばいいかわからない日々でした。
母と一緒に、ある団体の共同生活の寮のような所で生活していたけれど、ある時から母が男の人と暮らすようになり、帰ってこなくなりました。
スタッフが母の住所を訪ねて、週末はせめて母子でと、僕は週末にネットゲームをしに行っていました。でも、ふだん他人はいても家族のいない生活は問題ということで、スタッフが話してくれて、今度は、 再婚した女性と1歳の連れ子がいる父親の家で暮らす事に。でもその女性は、僕の存在を受け入れてくれなくてとてもつらかった。
それで、母の実家に住まわされようとしたり、父の実家にも行ったりしたけど、祖父母と暮らすのは、若い人には無理だと分かった。こうすべき、ああすべきでまいってしまった。
父は、ついに実家に預けるのをあきらめ、家を借りてくれました。18歳の時でした。僕には、本当にお金がなく、シューレの仕事体験から続けて バイトをやらせてもらえることになって救われた。御飯が食べられた有難さが忘れられません。
──人生で大切なことは何だと思いますか?
自分が何者かを忘れないこと。情報過多の時代で自分がわからなくなりやすい。自分を見失うことがないように生きていきたい。