1974年生 ● 東十条・王子シューレ ● 旅行会社社員 ● 不登校=小4〜 ● シューレ在籍=11歳〜18歳
よくディスカッションし、よく遊び、よく旅行した
僕の登校拒否は、大阪から関東へ親の仕事の関係で転居し、転校して始まります。授業、掃除、給食、きっちりやらせる。授業中や給食、掃除の時のおしゃべりには何百回書かせる。1日に2000字書かされた覚えもあります。
僕は順応しようと一生懸命でしたが、ぎりぎりになり、コップの水があふれた感じで、小4の5月より行かなくなりました。
初期には、我が家も学校へ行け行けでしたが、動けない僕を尋常ではないと思ったらしく、好きにさせてくれました。
しばらくすると外に出たくなり、つくば万博にはまり、電車に乗ってあちこち出かけるようになり、楽しかったです。
東京シューレには、6年生から本格的に通い、中学時代は本格的にシューレで過ごしました。よくディスカッションをして、演劇、農業、トランプ、ゲーム、いろいろしましたが、北海道の公民館を無料で借りてやった20日間の合宿がすごく面白かった。子どもだけで遠くへ行ったり、いろんな冒険をしたり、あれが僕のやりたいことをやっていく原点になったと思います。
また、東京シューレ通信を作ることも面白く、長く編集長をやりました。その後、本を自分達で作りたいと思い企画、「学校に行かない僕から学校に行かない君へ」が本当に実現した時はとても嬉しかったです。シューレが王子に移転した後の6周年祭では、ビル全体をパビリオンに見立て歴史館、迷路などの部屋を作り、人がワンサカ来ました。
海外旅行と留学、就職
退会後は、フランス語を習いに行ったり、アルバイトに精を出し、そのお金で旅行好きの僕は多くの国へ行きました。ヨーロッパ各国、中国やアジア、シベリア、サハラ砂漠では野宿し、風や音もない真っ暗な夜の砂漠や砂嵐も経験、食べ残しを奪い合うマダガスカルの貧しい子ども達にもショックを受けました。
その後、フランスに語学留学。この大学で僕は素晴らしい出会いに恵まれます。ニューヨークの大学院から交換留学で来ていた日本人女性で、彼女が半年で帰国、その後1年、日仏で遠距離恋愛をし僕が帰国、その後結婚しました。
仕事をどうやって見つけたかも僕らしいと言われておりますが、フランスから帰国してすぐ、大手旅行会社に応募しました。専門・短大卒以上の条件に構わず、履歴書には僕が言った旅行先を30か国近く書いて提出。すると面接の連絡が来て採用、都心に近い支店で働くことに。苦労もありましたが、お客様を満足させることでリピーターも多く、成績はいつもトップ。入社後5年で支店長になり、その2年後には本社の重要な部署に抜擢されました。
しかしそこは世界の状況の変化を見誤れば大きな損失につながる仕事なのでとても厳しく、妻と二人の子どもに支えられながらの10年でした。
人生は思わぬ展開をするもの
そして人生は思わぬ展開をするものです。
2014年、モロッコに会社が進出することとなり、自分が責任者の任につき、全く知り合いもないところで事務所や住居探しから始め、役所と交渉をし、旅をしては案内書を作り、現地人を雇用します。
日本から家族を呼び寄せ、社長とはいえ、何から何まで休む暇なしでした。
半年後、妻の母が倒れ、亡くなるという事態が起きます。それをきっかけに妻の落ち込みが激しく、結局僕も帰国。いろいろあって、残念ながら離婚。今は小4と幼稚園の子の面倒を見ながら生活をたてている日々です。
振り返ると、不登校であったかどうかと、社会で実際に生き抜けることとは関係ないですね。むしろ、世の中の変化を見誤らずにどう生きるかが大事と思います。
シューレはぶれない軸をもちよくここまで規模を広げてきたしそれをよく続いている。ありがとうと言いたい。僕にとって熱い青春のひとこまで楽しい生活でした。10代の頃、心豊かに過ごすことができたから、30代を生き抜けたと思っています。
人生はわからないものですが、いつ何時であっても手抜きせず、まじめに向き合っていくことが大事と思っています。