1978年生 ● 東十条・王子シューレ ● 布絵作家 ● 不登校=小5 ● シューレ在籍=小5〜中2・(旧姓 服部)
——現在、布絵作家として御活躍ですね。どんなアートですか?
布の良さを生かして、切りぬき縫いつけて、壁に掛ける絵をつくり上げるんです。布といっても、これまでにどこかで着た人がいたに違いないきものや帯が主な材料です。
日本のきもの地は、蚕も、織りも世界的にもすぐれていて、しかも北から南へ長い国なのでとてもいろいろな布がきものになっています。それが消えていくのがもったいなくて、美しい色合いも残したいし、布絵をやっていると我を忘れて夢中になっちゃいます。
——やり出したきっかけは?
2人子どもがいるんですが、子育てが一段落した9年くらい前、家に古布が一杯あって、始めはジーパンへの縫い付けから始まったんです。主人は古布とか陶芸とかコレクションしていて、本来の仕事は音楽家です。「ホピの予言」の音楽も担当した伊藤詳(AKIRA)ですが、何でもできる人で、私、絵は、主人に習ったんですよ。この古民家も江戸時代の建物で、主人が見つけてすでに住んでいました。布絵は誰もやっていなくて、新しいアートの世界を拓いていけると思っています。ライフワークとしてやっていくものが見つかり、幸せです。
——不登校したのは、いつ頃?
小1で1回行かない時があって、でも3、4年は楽しかった。小5で不登校しますが、音楽の先生が怒る先生で、やたら厳しくて、きちんとさせたい先生で。母親は、市会議員をやっていて、原発反対やリサイクルショップや忙しい人だったけど、千葉の親の会には行っていたようです。それで、シューレのことを教えてくれました。不登校後まもなく東十条のシューレに行きました。
——シューレの印象は?
狭くて、ゴチャゴチャしていて、皆好きなことをやってましたね。私はマンガばかり読んでいて、そうそう、いろいろタイムでコロッケを作りましたね。東十条は楽しかったです。
よく覚えているのは、北海道合宿。お風呂に行くのに奥地さんのワゴンにぎゅう詰めで乗って、北海道のまっすぐな道を飛ばして走ってもらって、帰りは止めて!と言って、ライトも消して満天の星を見た。子どもだけで鉄道乗り継いでシュマリナイ湖という秘境の湖に行きましたよね。山口の合宿もよかった。自然の中に行くのが好きでした。
——シューレはいつまで居ましたか?
王子に引越したでしょ。それからつまらなくなったので、中2の3月で辞めました。東十条の古いアパートの2階の窓から下をボーッと見てると、自転車に乗った氷屋さんが通り、自転車を止めてのこぎりで氷を切って配達している、そんなのが好きでしたから、王子のきれいなビルは何もかも変わってつまらなかった。
中3の夏から高1の年齢にかけては、フラメンコダンスに週2通ってましたね。主人と出会って、ギターや歌も習ったり。好きなことばかりやってました。
——結婚は?
22歳の頃です。すぐ育児に追われるようになって、2人目も生まれて。子どもが小学校に入学してからやっと自由が感じられ、布絵に取り組めるようになりました。でも小さな学校で、全校15人、とても丁寧に子どもと関わってくださり、私も長期にPTAや子ども会の役員などやって協力してきました。子どもには、自分がしてこなかったので勉強をしてほしいです。高校卒業後は留学させたいです。
——あなたにとって大切なことは?
子ども、家族が大切。次に夢中になれること。私は布絵をずっとやり続け、織り物の良さ、日本文化の良さを伝えていきたい。オリンピックで来日する人々に、個展をやって見てもらいたいと思ってます。2015年の10月に千葉三越で個展を開く予定です。(2015年7月現在)