1983年生 ● 王子シューレ ● 古民家カフェオーナー ● 不登校=7歳(小1)〜 ● シューレ在籍=7歳(小2)〜16歳
長野県旧四賀村(現松本市)、築130年の古民家を買い取り、2013年、カフェ、ひょうたんランプギャラリー、ヨガ教室、農家民宿「KAJIYA」を夫婦でオープンさせた。等身大でできることを活かしながら、こだわりの田舎暮らしを営んでいる。
小1で不登校、小2でシューレに
小学校に入学してすぐ行かなくなりました。先生から叩かれることもあったし、強制的に学校に行かされることも疑問で。近所の友達からは白い目で見られました。父は公務員で厳しい人でしたが、母はいろいろな相談機関を探して情報を集めていました。カウンセリングにもいっしょに通った覚えがあります。
東京シューレは小2で入会しました。中高等部の人達にかわいがられて、とても居心地がよかったです。みんな才能があってすごいなぁ、と思っていました。シューレはできる人と、自分みたいにできない人が両極端。そんな自分に何ができるのか、将来仕事に就けるのだろうか、大人になるのが不安でした。そのように、シューレで真剣に考えることを学んだことが強く記憶に残っています。
思い切ったブラジルサッカー留学
サッカーが大好きでした。小5で小学校とシューレをいったん辞め、プロを目指して中3の兄と一緒にブラジルへサッカー留学を敢行しました。兄弟にとっても親にとっても一大決心でした。ちょうどJリーグが発足した時でした。
丸4年、クラブチームで寮生活をしながら、子どもから大人まで一緒になりサッカー漬けの生活でした。文字が書けない子どもや大人がたくさんいて、それでも世界を目指していける、と視野が広がったことを鮮明に覚えています。
15歳の夏帰国、小卒がないという変則的なケースでしたが、中学3年生に編入できました。結局、手続きした学校には行かず、シューレに再び通いました。中卒後の進路はプロになること。入団テストを受けまくりましたが、残念ながら受かりませんでした。だから16歳のときは遊んじゃったんですよ。シューレにも通えるように親が手続きをしてくれていたことはありがたかったです。
よく遊んでいたやんちゃな友人に、近所の高校サッカー部員がいました。高校生でもない自分が部活に出入りするようになると、顧問の先生にぜひ受験するよう勧められたんです。ほとんど文字も書けないのになぜか合格。でも、顧問は1年で異動になり、やる気がうせてしましまいた。でも高校は出席だけはして、3年で何とか卒業しました。
ひょうたんランプとの出会い 地に足をつけた暮らし求めて
卒業後は定職には就かずバイトを転々としました。リサイクルショップが性に合い、フルで働くうち正社員になれました。でもしっくりきませんでした。「何でこんなに働くんだろう……」って。再びバイトにしてもらい、畑を借りて一人で作物を育て始めたんです。週3畑、週2バイトくらいに通いつめました。
「ひょうたんランプ」には、参加したイベントでたまたま出会って魅了されました。ひょうたんの栽培から手掛けて自分でも作るようになったんです。依頼があれば教えに出向いたり。けっこうな腕前になりました。
千葉県いすみ市「ブラウンズフィールド」。そこには昔ながらの知恵をヒントに食を中心に自然とつながる暮らしをする仲間が集っていて、よく訪れました。奥さんとはそこで知り合いました。彼女はヨガスタッフとして働いていました。
27歳で結婚。「地に足をつけた生業で、自分で身を立てたい」思いがあり、田舎暮らしができる場所を探し始めました。
東日本大震災のちょうど1ヶ月前、長男誕生。安全な暮らしを求めて奥さんの実家のある長野県に引っ越したんです。人づてに四賀村の古民家を見つけて買い取りました。廃屋となっていた建物をイベントで知り合った大工に頼んで仲間といっしょに改装。2000坪の畑と山があり、できることを組み合わせて「KAJIYA」を開業しました。
地方だと逆にチャンスがあります。資金も少なくて済むし、何か始めると注目もしてもらえる。情報を聞きつけ、突然立ち寄る若者もいたり、最近はカルチャーセンターから「ひょうたんランプづくり」の講師を請われてやっています。年配の方も訪れてくれるようになっています。今の喜びは「生活そのもの」。ちゃんと食べていけるようになるにはもうちょっと。苦しさ半分、楽しさ半分。すべてが自分です。