1981年生 ● 王子シューレ ● Web制作会社スタッフ ● 不登校=小5〜 ● シューレ在籍=中2〜19歳
学校に戻されようとして
僕が学校を休み始めたのは、小五の時です。夏休み明け、頭痛・腹痛が起き、朝起きられず登校できなくなりました。いろんな病院に連れて行かれました。
閉じこもっていたある日、山形県にある施設に連れて行かれたけど「ここにはいたくない」と必死に母親に訴え体験入所だけで自宅に戻りました。
親が少しずつ理解してくれるようになってからは、居間で一緒にテレビを見たり、また、小さい頃から好きなサッカーをやろうかと母親が言ってくれ、誰にも会わない夜中に、車でグラウンドへ行ってボールをけったりもしました。
何と言ってもIDEC大会が大きな経験に
シューレの説明会から帰った母親からサッカーできるということを知り、見学に行きました。中2、14歳の時です。奥地さんに「ここは、来る来ないは選べるところで、あなた自身が決めていいの。来たくなかったら来なくていいのよ」と言われたのが印象的でした。シューレでは何といっても、IDEC(International Democratic Education Conference =世界フリースクール大会)を日本で開くことができたのが、もっとも大きな活動でした。
家族と一歩引いたいい感じの関係が
現在はシューレで知り合った友人とHP制作の会社を立ち上げて、7年ほどになります。
仕事でいろんな人と出会います。いろんなことをポジティブに、不登校のこともネタとして話しながら、やっています。
現在、両親、妹、甥が近くに住んでいて、甥は学校に行っているけれど、いろいろやりにくいことがあるようです。
自分自身は彼の話を聞くと「すごくわかる」ということがあるので、学校の中だと大変だろうな、と思います。でも親でもないので無責任にいろいろ言えない、という思いもあります。4人で煮詰まっているようなときには、母親から「食事しない?」という連絡があったり、父親から「一緒に飲みに行かないか?」と言われ、それぞれの愚痴を聞いたり。今はすごく家族仲がいいと思います。
家族だけれど、自分自身、一歩引いてそれぞれを見られるようになってきているのでいい感じになっていると思います。シューレにいた時に、奥地さんや他の子達といろいろな場所で自分の辛かった体験を親の人、教員、いろんな立場の人の前で話して、その時にいろんな考え方があるんだなということを知り、さまざまな考えを受け止められるようになったと思います。
今の仕事で、こういうふうなものをつくってほしい、と言われいろいろやりとりすることがあります。意見を吸収し、その人が何をもとめているのか、ということを考えていくことが必要で、こういうことはシューレにいたときと同じだな、と思います。
多様性を認められないといけない
10代の頃、フリースクールや海外の子ども中心の教育をやっている人とたくさん出会いました。
社会へ出た時に、日本では、いわゆる一般的な公教育がスタンダードだから、話が通じないところもあります。
公教育がダメだとか、フリースクールがダメだという話ではなくて、両方あっていいし、他のやり方もあっていい、そうなっていかないときつい人は必ず出てくる。多様性を認められないといけないなと思います。
奥地さんから聞いた事だけれど「あなたはあなたでいいじゃない」というところがみんな認められれば、今きついと思っていることは、そうきつくなくできるのではないか。痛みの質量は変わらなくても、自分の受けるものが大きくなれば、それを軽減させることはできる、と思います。