1990年生 ● 新宿シューレ ● NPOスタッフ ● 不登校=小2〜 ● シューレ在籍=11歳〜18歳
最初に学校に行かなくなったのは小2の3学期でした。小1の時から筆箱など自分の持ち物が隠される、傘を持って追いかけられる、体育のサッカーでゴールキーパーをやり、ミスをすると罵声が飛んでくるという状況が続き、学校に行く事が辛くなり死を考える事もありました。
担任に話してもいつもその場限りの対応で、誰に話しても無駄なんだと学校や大人へ不信感を抱くようになりました。ふとしたきっかけで親に学校での話をすると「行かなくていいんじゃない」と言ってくれ、小2の3学期でいったん行かなくなりました。小3でクラス替えがあり、状況が良くなる事を期待したものの、状況は良くならず辛くなったので1週間通って完全に行かなくなりました。
行かなくなってからは、家を中心に過ごしました。親は学校に行かない事について何か言う事はなかったものの、24時間一緒にいることで関係が煮詰まり、顔を合わせるだけで揉めるので、一日中布団から出られなかった事もありました。約3年間家にいる中で、親も私も落ち着いてきた事もあり、家で勉強や絵を描いたり、鉄道が好きだったこともあり、博物館に親と出かけるようにもなりました。だんだん家にいること、親とだけ過ごす事に飽きてきて外に出てみようかなと思い、小5の終わりにシューレへ見学に行き、小6で入会しました。
初めは、英語が学びたくて、英会話の講座がある日だけ週1回ペースで通いました。慣れてきて話せる人が増えて、通う日数も徐々に増えていき、ピアノ講座を始め、イベントの実行委員会、シューレ通信作り、CD制作など色々な活動に関わりました。
高校進学は考えていなかったのですが、親の勧めでアメリカのクロンララスクールに入学。自分の希望ではなく、勉強をやる気にならず、すぐに辞めました。その頃、ファーストフードのアルバイトを始め、不登校だったから採用されたという面もあるものの、最初の頃にシューレの事を話すと「不登校なのにガッツがある」と言われ、違和感を覚えました。シューレの外へ出ることで、もっとシューレの中で活動をしたい、もっと関わりたいと思うようになりました。
シューレで友達やスタッフとたくさん話す中で新しい事に興味が広がりました。イベントの装飾デザインをしたり、イラストを描いたりする中でデザインを学びたいと考えるようになり、高認を取得、美大進学を考えました。今まで美術やデザインに触れた事はなかったものの、デッサンが必須ではなく、写真や空間デザインを学ぶ事ができる場所として見つけたのが東京造形大学でした。無事合格し、シューレを卒業しました。
将来を考えながら見つけた場所
10年ぶりの学校は何も言わずとも女子と男子でグループが分かれていて、初めはとても怖かったです。通う中で話せるようになり、友達もできましたが、大人数のグループ行動には慣れませんでした。
大学では五美術大学交流展(五美展・・・今は五美交という通称になっている)の団体の立ち上げに関われて、他の大学にも友達ができたことが楽しかったです。みんなで話し合って、動いて一つのもの・展示を創ったことはシューレで活動した事が活きたんだと思います。
大学3年になり、この機会でいわゆる”普通”にならなければいけないと思い、就職活動を始めました。しかし就活は簡単にはいきません。就職支援の場所では、自己分析を求められ、上辺だけの自己PR文を書く事を推奨され、選考会場へ行けば、企業へ好印象を与えるために学生自身の策略合戦。とにかく”キラキラエピソード”を求められるけど、話を繕う事、選考の場独特の空気がとても辛くて、体調を崩し、1年半の間、何度も胃腸炎で倒れました。
大学4年の3月になり、就職が決まっていない焦りの中、グループ展を見に来てくれたシューレのOGから「ハイテンション」という場所で、障がいを持った人たちの活動に関わらないかという誘いを受け、藁にもすがる思いで行く事にしました。
それから3年近く経った今もハイテンションで働いています。そこでは利用者さんと「Photo部」を作り、撮影に出かけたり、子どもたちと音楽やアートをして過ごしています。昔は子どもが胃勝手だったのですが、今ではもっと子どもたちと関わりたいと思っています。かなり切羽詰まった状況で決まった仕事でしたが、自分が楽しいと思える仕事・場所に出会えて、本当に良かったと思っています。
カメラを通して見えてきたもの
自分が表現できるのは「学校に行かないこと」だと思い、大学の卒業制作ではシューレの子どもたちにインタビューし普段の活動を撮影した作品を作りました。その作品はありがたいことに「ZOKEI賞」という賞をいただきました。
今はハイテンションの音楽活動を撮影したり、シューレの事を撮影したり、時々作品を作るという活動をしています。
カメラのメカニックな事は苦手ですが、カメラを通して人と関わっていくことが好きで、それが私の表現方法なんだと思っています。