1990年生 ● ホーム・王子シューレ ● NPOスタッフ ● 不登校=小4〜 ● シューレ在籍=11〜21歳
はじめは電車に乗るのも苦手だった
不登校が始まったのは、小学校4年です。春に転校しましたが、勉強もついていけない、友人もできない、先生も怖い、先生はいい人だったけど学級崩壊状態でいつもイライラしてたから、と思います。学校はいやだなぁと感じ、朝ご飯が食べられず、親と対立し、「前の学校なら行ける」と言いましたが、結局行けなくなりました。
シューレに入会したのは、学校には行かなくてはいけない気持ちだったので、テレビを見ても罪悪感でいっぱいでとても苦しみました。ずっと泣いていて、頭痛、腹痛、トイレは近い、いつも体調は悪い、担任の来訪やプリントは親に断ってもらい、でも「どこかに行かなくては」「一人ではつらい」という気持ちを察して、親がシューレを見つけ、ホームシューレとシューレと両方入会しました。
シューレに通う時、はじめは、電車に乗るのも苦手で、しばらく親に送ってもらい、帰りはシューレの子がやさしくて、一緒に帰ってくれ、そのうち一人で通えるようになりました。
まだ準会員の時でしたが、06年浦和でのフリースクールフェスティバルが開かれ、家が近いし、料理が好きだったので担当に入って関わりました。また、冬のログ合宿にも参加、面白くって、3学期には正会員になりました。
自分で企画を提案して動いていく
それからは積極的に取り組み、映像をつくったり、葛飾シューレ中ができる際には、学校づくりに参加、プレ集会も企画しました。17歳の頃です。2008年のフリースクールフェスティバルでは、校庭いっぱいにナスカの地上絵のような自分達の絵を描き、夕暮れに、ローソクの灯で点々と浮き上がらせるという企画を思いつきました。多くの人の協力でうまく実現した時の感動が忘れられません。
09年に宣言した「不登校の子どもの権利宣言」の作成に私も参加しました。宣言完成後、広めるためにどうしたらいいか考えるようになり、いろんなところに話しに行ったりしているうち、2010年秋から「不登校の子どもの権利宣言を広めるネットワーク」を立ち上げることになりました。シューレをやめた今も、その代表として活動しています。
やりたいことをやりたい人とやっていこうと決心
シューレをやめたのは、当時の年限が21歳だったからですが、今25歳、この5年間は壮大です。やめてどうしようか、よくわからない。どこかでがんばってきた自分もいて、休めばいいと思うけど、不安もあるし、貯金もない。そこへ3月11日の東北大震災があり、自分はどう生きたらいいか悩みました。つなぎのバイトを探して、いろんな仕事をしました。すぐおこる会社、きつい仕事が多く、人間扱いされないバイトもあり、不登校の時と同じ気持ちになりました。
人に対してやさしくなれず、孤独で、消耗し、休みの日は寝てしまう、こういうことが社会だなあと分かったのが貴重でした。シューレで学んできたことを活かさないと自分がかわいそうだと思いました。自分がやりたいことを、やりたい人とやっていこうと決心しました。
自分を活かせる、働き方
その後シューレの打楽器講座の講師である梶原さんから「興味があったら来て」と言われていたハイテンションにボランティアに行っていたのですが、ここで働きたいと伝えました。派遣で働くのはもう無理と思ったからです。
ハイテンションは、障害をもった人がありのままを出して音楽やアートなどの表現をします。それらが仕事となりバンドでライブをしたりゆっくりと地域の中で暮らし、共に生きていく所です。
幸いに週3日から始め、2年前からフルタイムで働き、今は自分のやってきたことがたくさん活かせていると感じています。
そして、今も権利宣言の活動や、自発的にシューレの仲間と「ふとうこうカフェ」を立ち上げる等、不登校ともかかわりつつ、「みんなで幸せになりたいよね」と心から思っています。