1991年生 ● 大田→新宿シューレ ● 大学生 ● 不登校=中1〜 ● シューレ在籍=14歳〜21歳
中学1年の夏休み明け、突然不登校になりました。
小学校は普通に通っていたし、中学は私立を受験したんですが、1学期は全く普通に学校へ行っていました。
きっかけは夏休みの宿題が終わらず、新学期になって宿題を終わらせるために休んだことでした。1週間休むともう授業について行けません。まさか自分が不登校になるとは思ってもみなかったのですが、学校に行こうとするとおなかが痛くなったりしてどうしてもいけませんでした。そこからは母や祖母とのケンカが続きます。
好きなのは月曜日 なぜならシューレに行けるから
2年間ひきこもった後に母が見つけてきた大田シューレに入会しました。
シューレに慣れてきた頃、私は覚えていないのですが、スタッフと何曜日が好きかという話になって私は月曜日と答えたそうです。土日に家にいるよりも、月曜日にシューレに行くことが楽しかったのでしょうね。
私にとってシューレはほっとできる居場所そのものでした。
翌年、新宿シューレに移ってからも大田と変わらないような生活をしていました。それから1年たって高3年齢になるとき、スタッフに誘われ高認を受けることにしました。4月からシューレで英語と数学の勉強をし、8月には全科目を受けて合格。でもすぐにどうこうしたいという気持ちはありませんでした。
転機になったのはその翌年です。毎年秋に行われているフリースクールフェスティバルの実行委員長になり、みんなに支えてもらいながら大きな企画をまとめていく貴重な経験ができました。
フリフェスが終わった後、何か大きなことがしたいと思い本州横断の一人歩き旅を計画しました。
18歳の12月、江の島から直江津まで2週間かけて歩きました。12月でしたから長野は氷点下でしたし、途中から雪も降ってきました。長靴を買って腰まで積もっている歩道を横目に歩きます。最初のうちは周りの景色の移り変わりを楽しんだりしていましたが、徐々に自分の将来を考えるようになります。
シューレでは専門学校や大学に行く人、アルバイトをする人や中学を出てすぐにサラリーマンになる人もいました。自分は何がしたいのだろうと、歩きながら考えました。勉強をするなら食のことが知りたい、農業のことを知りたい、農学部のある大学へ行こう。400㎞を歩き終えて新潟の海を見たとき、私はそう心に決めていました。
旅から帰った私は翌月から予備校に通い、2年間勉強したのち東京農業大学の農学部に合格しました。
「活動をつくる」経験が生きている
予備校に通う前、シューレではほとんど勉強をしませんでした。でも大学の勉強で困ったことはありません。意外と何とかなるものです。4年次には特待生になることもできました。
現在は大学の4年生で、学部生だけで約70名いる研究室の副幹事をやっています。研究室全体のまとめ役です。シューレで培った「活動をつくる」経験が生きていると思います。
将来は農政関係の公務員になりたいと思い、今は公務員試験の勉強をしています。でも狭き門ですから希望が叶うかどうかはわかりません。ダメでも食や農業に関する仕事に就きたいと思っています。
シューレに来てほんとうによかった。自分の中に太い芯ができたと思います。
私はシューレにいたからこそ400㎞の一人旅を経験でき、その中で自分のやりたいことをみつけました。自分でみつけたことは、勉強をしても全く苦になりません。むしろ、知れば知るほど楽しくなりました。
今は勉強が楽しくてしかたない、とても充実した大学生活を送っています。