1998年生 ● 葛飾シューレ ● 高校生 ● 不登校=小5〜 ● シューレ在籍=12歳(中1)〜15歳(中3)
不登校の始まり
小5の冬、班ごとの席で喋らずに食事をしていたら、隣の男子が「なんで喋らないの? 喋れよ」と言われて学校に行きたくなくなった。
私は喋ることが苦手だったし、喋らなくても生きて行ける、と思っていた。日々の学校生活や私立で通学に1時間もかかり疲れていたし、その頃の記憶はあまりないです。
行かなくなった時、母は私に土下座して「学校に行ってください」と言った。厳しいところのある母だから、土下座なんて、と驚いたけど気持ちは変わらず行きたくないと思っていた。双子の妹は、淡々と学校に行き続けました。
休み始めるとゲームとテレビ中心の生活になった。バイオリンと塾にも通っていたけど両方とも不登校になってすぐにやめたんです。
在籍していた学校の中学部の内部受験に失敗し、シューレを紹介された。積極的な選択ではなかったけど、合格通知が来たときは本当にうれしかったな。
でもシューレにも、行かない、と決めていた。その気持ちの底には母への反発心も大きかったです。
IPadでよく、ボーカロイドの曲を聴いていた。知らない世界を知れたし、何より心の拠り所になった。休んでいる間、学力の焦りが常に心の片隅にあって、少しずつ自習を進めていました。
登校のきっかけ
中1の時はイベントや企画中心に、外出の機会として活用しました。やることがはっきりしている方が登校しやすかったし、外に出る企画は校内と違って閉塞感がなくてよかったです。
少しずつ慣れ、時々登校しはじめ、2年の時に食と農プロジェクトに入り初めて料理を経験。食べることが好きだし、作って食べる経験がとてもよかった。友だちができたのも大きなものになりました。
友達ができた
シューレの帰り道、一人で歩く私の前を歩いているシューレの人たちは、賑やかで楽しそうで、次第にその輪に入りたいと思うようになっていきました。
食と農の人たちは親切だし、一緒に居ても迷惑な顔をしないから、声をかけても大丈夫かなと思って、プロジェクトのあと、身体の底から勇気を振り絞って「一緒に帰ってもいい?」と声をかけたら、「いいよ」と言ってくれて、その日から一緒に帰る日が増えていきました。たくさん喋れたわけではないけど、そこに居る事が嬉しかった。スタッフの幸ちゃん、絵里ちゃんに名前を呼んで声をかけた時のこともすごく覚えています。その時もすごく勇気を振り絞った。この3つのことは一生忘れないと思う。
進路について
今は通信制の毎日通学型の高校に通っています。私が入っている総合進学コースでは、たくさんの授業の中から選択できるという特徴があって、そこに惹かれました。今の高校とシューレって少し似ていて、イベントは生徒中心に作り上げていきます。
高校に入ってからはいろんな実行委員にチャレンジしています。まだ人と関わるのは得意じゃないけど、少しずつ慣れていきたいです。
シューレでよかったこと
人と会話できるようになったこと。友だちができたこと。この二つの変化は大きいです。
最近、家で独り言が多くなりました。高校に入ってから人と話す機会が増えたけど、シューレで話していたようなことは、先生に話さなくても大丈夫、と思っちゃう。
シューレではスタッフには話したかったし、聞いてもらいたかった。気軽に話せる関係がとてもよかったなと思う。
将来の夢
看護師か管理栄養士になりたいです。
看護師は就職に困らないかなって思うし、人体には興味がある。
栄養士は料理がやっぱり好きだな、って思うから。先日のシューレ中の旅立ち祭のお手伝いで久しぶりにシューレで料理をして、やっぱり料理に関わる仕事をしたいなって思いました。管理栄養士は国家資格だし、料理に携わる仕事が魅力だなと思っています。