(F.N)1977年生 ● 王子シューレ ● 会社員 ● 不登校=中1〜 ● シューレ在籍=中2〜18歳
(F.Y)1981年生 ● 東十条シューレ ● NPOスタッフ ● 不登校=小3〜 ● シューレ在籍=小3〜小4
——お二人は子ども・若者としてシューレに関わった後、2003年に流山シューレのスタート時にスタッフになっていただきました。どんなことを感じましたか。
法彰 始まった時は人数が少なく、みんな慣れず、正直なところ「大丈夫かな?」と思っていました。
由佳 でも日が経つにつれ少しずつ会員同士が打ち解けていき、子ども達の緊張した顔が笑顔になっていくのを見て、「シューレっていいな」と思いましたね。
法彰 多くの男の子は身体を動かすのが好きでしたね。当時は県立施設を週1〜2回活用して、体育館が自由に使えたのが良かったです。最初はゲーム機もなくテレビしかなかったので、子ども達が家からゲーム機を持ってきて、たっぷり対戦もしましたね。
由佳 最初は料理や近所の公園へ行ったり、バーベキューや水風船で遊んだりしました。あまり環境が整っていなくても、まったり過ごす居場所にしてくれたことは良かったのかなと思います。
法彰 県立施設なので、決められた時間までに部屋は出ないといけなかったんですが、屋外に出てからたわいのない話をする時間がとても大切でした。みんな人に話したい、話すことがいっぱいあったようですね。2ヶ月目ぐらいに初めて大きな取り組みとしてクリスマス会をやったら、自分のアイデアを出したり司会や準備を引き受ける子が多くて、一人ひとり、日常では見られない変化を感じました。
由佳 ある男の子が動画サイトで見たバンドにあこがれていて、施設内に防音の「スタジオあるから講師探そうか」と、ドラム講座やギター講座を始めたら、こうやれば自分がやってみたいことができるんだということが子ども達に芽生えてきたんです。大人や周りの子がやっているのを見て、「私もやっていいんだ」と変わっていく様子を見て、自分自身も学ぶことができましたね。
——シューレに子どもとスタッフとして、両方関わった二人から見て、また、結婚されたお二人にとって、シューレや不登校をどう思っていますか。
由佳 不登校やフリースクール、家で育つホームエデュケーションが、生き方のひとつとしてあって良かったな、と思います。でも、シューレにいるとそのあり方が普通なのだけど、外からは別世界だったりしてまだ全然知られていないんです。もっと知ってもらえたらな、と思います。
法彰 自分はシューレと出会い、いろんな大人がいて、いろいろな考え方や生き方があることを知ることができたのが何よりでした。今もシューレの友人とのつき合いは自分の支えになっていて、何かあるごとに「不登校してよかった」と思っています。でも、一方で、学校で苦しんでいる子の話をニュースなどで聞くと、シューレのように学校以外の道や選択肢があるから、学校の中だけでがんばらなくていいのに、と思います。
由佳 シューレは個性的な人が多くてみんな違うけど、だからこそ違いを分かって認め合える見方ができるようになったと思います。シューレの人同士だと「ああ、そういう考え方があるんだ」と感じることができます。シューレ以外の場面でも自然とそうした受け取り方ができるようになりました。
私は家を中心に育ってきて、20歳になり「もう大人だから」と周りから手を離され、いきなり社会にポーンと出されてしまった気がして不安で苦しかった時期がありました。
そこから私はシューレの土曜サロンにつながったけれど、それがなかったらずっと不安だったと思います。自分でも「20歳になったから甘ったれちゃいけない」と人に相談しにくかったんです。でも、思春期の時に悩んだことで「将来はいろんな生き方がある、あらかじめ決められたものはない」ことを見つけました。