1978年生 ● 王子シューレ ● 会社員 ● 不登校=小3〜 ● シューレ在籍=14歳〜18歳
親元を離れ南伊豆へ
私が学校に行かなくなったのは小学3年生の時です。理由は同級生から嫌がらせでボールを投げられたり、からかわれたりして、いじめにあっていたのと、人と同じ事をするのが苦手だったからだと思います。不登校になってから、親や兄も戸惑い、学校に行く、行かないで、よく私と言い合いになりました。
その頃から相談センターに母と行っていました。小5の時に、南伊豆にある杉並区立の健康学園に親元を離れて行くことになりました。向こうでは、空手を習うことができたり、スポーツをしたり、勉強したり、親に手紙を書いたりしていました。躁鬱病の診断を受けたのはこの頃です。
小学校卒業までの約2年間を健康学園で過ごし、中1からはまた登校を始めましたが、中学でも合わないと気づき、行ったり行かなかったりしていました。行かない時は親が共働きだったので、家で一人で本を読んだり、勉強したり、好きな絵を描いたりして過ごしました。
大きな経験だった二つの海外体験
シューレは母が本で読んで見つけてくれました。入会したのは中2の秋です。スポーツが好きで、シューレだったらみんなとできるし、学校だと勉強は遅れてしまうけれど、自分のペースで学ぶことができると考えたのです。
入会したての頃、みんな明るくて、大人と対等に話していて、学校とは違うとても不思議な感じがしました。またスタッフがとてもフレンドリーだった事を今でも覚えています。
シューレに入ってからは、ギターを覚えたり、ダンス講座に出たりしましたが、中でも1番の思い出は、二つの海外体験です。
一つ目は、「ユーラシア大陸横断旅行」。一年間仲間と旅行の計画や資金、学習などの準備をし、夏休み1ヵ月間を使って6ヵ国周り、歴史的な様々な場所に行ったり、現地のフリースクールと交流したりしました。ポーランドの街中で、パスポートを落としてしまい、本隊と別行動でスタッフと2人で1週間足止めをくらい自立を覚える忘れられない経験もしました。
二つ目は、「イギリス旅行」です。英語の講座に参加している7〜8人の人たちで、勉強してきた事を実践してみようと、みんなで半年準備して、約20日間行きました。この二つの良い体験は、自分自身、旅を通して成長できたなと思っています。
ありのままの自分で良いんだ
シューレを退会したのは18歳です。16歳から、倉庫作業、引越し業、建築現場、そして、イタリアンレストランで働きながら、28歳の時に、草花や農業に興味があり都立農芸高校の定時制に入学。高校では学業の他に、生け花の資格を取り、音楽部をつくり部長もやっていました。
4年生になると就職活動があり、探してもなかなか見つからず、高校卒業後に就労支援センターに半年通いながら勉強。就労支援センターなどに、障がい者枠で働いた方が働きやすいのではないかとアドバイスもあり、父親は戸惑っていましたが、33歳で障がい者手帳を取得、34歳から現在まで、大手企業でパソコンの入力といった事務作業や配送準備、ビルの清掃をしています。また花が好きなので、社内の花壇の手入れも任されています。
今までの職場は、病気の事をなかなか理解されない事が多く大変でしたが、今の会社は理解してくれているので、働きやすいです。
今までを振り返って、定時制に行って学校生活から見た自分と不登校をした自分の経験が出来て良かった事、自分が無理して変わらないで、ありのままの自分で良いことをシューレに通って気づきました。そして友達にも恵まれました。また昨年の7月にシューレで出会った人と結婚したのも大きいですね。
将来は、花も好きですけれど、料理を作るのも好きなので、料理やお酒を出す店をやりたいと思っています。