1985年生 ● ホームシューレ ● 福祉施設職員 ● 不登校=7歳(小2)〜 ● シューレ在籍=12歳(中1)~29歳
農園での出会い
私は今、放送大学で「社会と産業」というコースを履修しつつ、三重県の就労継続支援B型という福祉施設で職業指導員としてパートで働いています。23歳で入った大学は7年目となり、今年度中には卒業できそうです。一方5年目のパートの方は、障がい者の方の生活支援・就労支援の訓練の場として、主に小松菜を作る水耕栽培の農業を通し、みんなで一緒に汗水流しています。
私にとって、農園でのいろいろな人たちとの出会いは大きいです。働き始めた当初は、まだ福祉施設ではなくただの農家で、その数ヵ月後に支援施設になると聞いた時は戸惑いました。専門知識もない私がいきなり障がい者の人たちとどう接すればいいのか、見当もつかなかったからです。
それは他の職員も同様で、みんなで手探り状態。でも、いざ利用者さんたちが来てみると、配慮が必要な場面はもちろんありますが、個性的な人たちが多くて、数ヵ月後にはむしろ楽しい!と感じるほどでした。と同時に、人と接することが面白いと感じている自分にも不思議な気持ちでした。
というのも、半ば引きこもりのような状態であったため、コミュニケーションの経験値が絶対的に足りていないと感じていたからです。十代の頃、興味のある英語を学ぼうと英会話教室に行っても、英語よりいったい何を話せばいいのかと会話に四苦八苦。その後勉強したくて19歳で定時制高校に入学するのですが、やはり集団の中で活動するのが苦手で、最初は授業だけ受けに行き、行事などは休んでいました。
オープンマインドでいること
そんな中、今でも憶えているのは、英会話教室で外国人の先生と話していて、「会話が苦手で……」と私が言った時に、「自分もだよ! オープンマインドでいることだよ」と言われたことです。同意してもらえたことがとても嬉しかったです。閉じこもりがちな私には、「オープンマインド」は分かりやすいキーワードで、実践は難しいけど心に留めるようにはしています。
高校生活では、親より年上の同級生に「相手に失礼ではないかと考えると喋りかけるのが難しくて」と打ち明けた時、「XXくんなら気にしないタイプだから、XXくんで練習してみたらいいよ!」と言われたことで、その程度に気楽に考えておけばいいのか、と心が軽くなったのを憶えています。特に、同じ生徒の立場であり、人生の先輩でもある同級生との出会いは大きかったです。
普通の社会では、いわゆる空気を読んだりしますが、施設を利用している方は、ある意味むきだしなんです。その場しのぎで一般論を言うと、後で「あの時はこう言ったじゃないですか!」と痛いところを突かれます。お互いそれだけ真剣だからこそ、試行錯誤しつつ向き合っていけるんですよね。今でも自分から話題を提供して話すことは苦手ですが、今後はそこを怖がらずに関わっていけたらな……と思っています。
別の可能性をくれた
学校に行く一般的ルートを行けばもっと楽だったのかな、と考えることはありますが、これが私だから仕方ないし、家にいたからこそ自分の興味・関心に忠実でいられました。
英語への興味も、深夜の海外スポーツ中継などがきっかけで、多少英語が使えることで出会えた人たちが、私の中ではすごく大きい存在となっています。興味が出たものから学びつつ、一つ始めると「英語で伝えたいことがあるから日本について学びたい」と広がっていき、今があります。そういった意味では、全く別の可能性をくれました。あまのじゃくの私らしい選択肢だと、今にして思えます。
また、ホームシューレを通じて出会えた人とは、インターネットで今でもやり取りできるので心強いですし、Twitterなどでいろいろな事に取り組んでいる姿を見るだけで、いい刺激になります!