1989年生 ● 新宿シューレ ● スクールソーシャルワーカー ● 不登校=中1〜 ● シューレ在籍=14歳(中2)〜19歳・20歳〜21歳(準会員)
不登校のきっかけは、無視から始まったいじめです。半年くらいお腹が痛くお母さんが気づいて話を聞いてくれ、先生に話してくれましたが、あまり対応してくれず、いじめが広がりました。「テストだけでも受けて」と先生に言われ、がんばって登校したら、ガラス張りの部屋で受けなければならず、みんなに見られ「死んだらラクになれるんじゃないか」と思いつめました。
私は、もう学校に行かないほうがいいと決め、お母さんもわかってくれましたが、同居のおばあちゃんはそうはいきません。戦争をくぐった世代です。
「勇気があれば、学校へ行けるでしょ」と。勇気ってなんだよ、そういう問題じゃないんだよ、と心のなかで叫びました。それからは人が怖く、自分の姿さえ見たくなかったので、真っ暗な部屋にこもりました。
シューレで過ごした時間
シューレは母が見つけてきました。第一印象は汚い、でもいろんな子が自由にのびのびすごしていました。暗いイメージだった不登校が明るいイメージに変わりました。2002年に入会しました。IDEC(世界フリースクール大会・2006年)に参加するなど活動的になっていきました。
2006年の秋、いじめ自殺する子が続きました。都知事の「(自殺する子は)勇気がない」発言や、文科大臣の「負けないで」のメッセージなど、大人の言うことはズレているなと思いました。「つらくても自殺じゃなく、なんとか生きていくと、こう楽しいよ」と伝えることなら、私にできると思い、自身の経験を話し、TV取材や本の取材に協力しました。また保育所で仕事体験をした頃、幼い心の傷をどうするのか考え、保育士になろうと思いました。
シューレ卒業後の進路
2007年4月、18歳の時に都立のチャレンジスクールの高校に入学、卒業後の2010年4月、白梅学園大学に入学しました。社会福祉士になって、子どもや弱い立場の人を助ける仕事に向いているかもしれないと考えるようになりました。
大学1年の時にスクールソーシャルワーカー(SSW)という職種を知り、必要な資格の社会福祉士を目指し、卒業と同時に受験資格を取得しました。卒論は「フリースクールの子どもたちの進路・進学について—支援者の視点と支援の在り方—」がテーマでした。
4年生時に地方自治体で実習し働くことが現実味をおびてきました。しかし、実習後この仕事ができるか不安もあり、子どもに関わる別の仕事も考えながら卒業しました。というのも、実習の時に「この職場は何をやるにも一人で開拓していかなければならない」と言われたからです。自分で突破できる気持ちは、その時にはありませんでした。
卒業後、葛飾中スタッフや新宿シューレボランティア、コンビニアルバイトなどを並行していました。その後、都内でSSWの募集があり、いろいろな人に相談しながら、応募しました。現在、SSWとして東京都内で働いています。
仕事で見えてきた課題ややりがい
現場では親の方のケアが大切だと感じています。また私自身はもっと柔軟に物事を見れるようになりたいです。まだやりだしたばかりで、やりがいを持てるほど自信もないですが、やりがいはもう少し先にもてるのかな。
——シューレで学んだことは今どんなことにつながっていますか。
シューレと出会って自分から発信する生き方を学びました。義務教育のことを勘違いして、行けない自分を責めていた時もありましたが、自分はこれでいいと思えて自由になったんだと思います。
シューレで(普通に学校に行くよりは)いろんな経験をして、他者の背景を理解しようとすることを学びました。また、この生き方を選択したことを自分の中でよしとしていることが大きいのかな、と感じます。肯定的にとらえていることは、私の軸となっていますし、この軸が太くなれば、今後、仕事でもどんな課題も対応できるのでは、と感じます。
——最後に、この本を読んでいる方に
100人の不登校と言ってもすべてが同じ人生ではなく、それぞれの人生を歩んでいることを知ってほしいです。