1994年生 ● 葛飾シューレ ● 旅館アルバイト ● 不登校=小学校高学年〜 ● シューレ在籍 中2〜中3
──いつ頃から不登校?
小学校の高学年頃かな。家で通信教材をやって、あとはテレビを見たり、ガンプラ工作したり。なぜか不登校になっても友人はずっと遊びに来ていて、よく「お前はいいな」と言っていた。
中学も地元だけど、行く気はなく、制服は用意しなかった。友人達は中学へ行き、部活が始まって来なくなった。
──それで、シューレ中受験を考えたのかな。
そう、母が探してきた。自由の森学園も考えたが試験あるし。シューレ中は受験日までは1回も見に来ていない。でも入学したら、なぜか毎日通った。2年間いて、実行委員会にもよく出た。
野球やバドミントンをよくやってた。授業にはあまり出ないが本はよく読んでた。それでも数学、英語は何となく勉強しとこうという気持ちだったし、美術は好きで出ていた。家庭科も好きだったけど朝が苦手であまり出られていなかった。中学入ってからやること増えて、でも友人とたっぷり遊べたのがよかった。エネルギーを蓄えた時期だったかな。
──進路はどう考えたの?
別に高校にこだわっていなかったけど、生徒が自分で作っている学校と聞いて自由の森学園高等部を見に行った。シューレ中もそんな感じだったし、そこがいいと思った。
最初は授業っぽくなく遊びみたいだった。僕は1年の最初から5月にやる体育祭の実行委員会に入り、テーマについて上級生たちが難しいと言っている中、意見を言ったから「新入生なのにお前やるじゃん」と言われた。道具を用意する係りを引き受けて気に入られた。
高校3年間で、体育祭、学園祭、卒業式、入学式、音楽祭、みんな実行委員としてかかわり、楽しかった。高3では体育祭の道具係の長をやった。すごい大変だけど「よくやったね」と評判がよかった。
──音楽祭の歌って、自森すごいね。
ぼくもシューレ中では声を出すのが恥ずかしかったけど、自森では歌うのが好きになり、声を出すと気持ちよくって。音楽だけじゃなく、授業は大体楽しかった。特に「社会」と「日本語」が面白かった。社会的事件に対して意見を出し合って議論する、これが好きだった。
──自森後の進路はどう考えたの?
自分で自分の課題と思ってたことがあって、ある時先生から「君はテリトリーがあって安全な所から見ている。一歩踏み出したら世界が広がるよ」と言われたこと。
──農学やりたいと思ったのは、それと関係ある?
そうだけど、むしろ、小さい頃からの家庭環境の影響が大きいかな。両親はアウトドアの仕事で野生動物の保護や生態調査のような仕事をやってて職場結婚なんだ。僕はよく両親と一緒に自然観察会などに連れて行ってもらったから。
大学は、何かやりたい、というのがないのに行く気はなかった。
卒業後は岡山の農家に入って、働かせてもらえたのだけど、友人の知り合いで高3の春遊びに行った時、面白い所だったんだ。自然栽培で米と野菜を作っていて、僕は飛び出せない性格だから飛び出せるか試してみようと思い、夏休みに2週間実習させてもらった。
4時起きで、草刈……それは無理で7時からでいいよと言われた。腰は痛くなり汗ダラダラだけど、土いじりは好きで苦にならなかった。
夜は農学講座もやってもらった。卒業したら農業やろう! と思った。で、約1年半そこにいさせてもらって、冬になって、一面雪でやることがない。そろそろ次のこともしたくなった。
農学をやって充実していた。育てて食べて、自然からもらって生きている。ものやお金じゃなく。こうやって生きていこうと思った。根っこが決まった感じ。
今は、いろいろ経験しておきたくて、スペイン一人旅のためのバイトを岐阜の住込み旅館でやっている。世界を見て歩きたいんだ。自分の幅を広げるために。農学、原発など、いろいろなところへ。