1992年生 ● 葛飾中学校 ● 会社員 ● 不登校=中2〜 ● シューレ在籍=中3
不登校の始まり
学校に行かなくなったのは、中学2年の前半ころからです。いじめがあったとかいうことではなく、何となく気まずくなってしまいました。
そのころ僕は剣道部に所属していたのですが、中学1年の秋に1か月くらい叔母のいるドイツへ旅行に行ったんですね。その期間、ほかの部員は部活をがんばっていたわけですから、それが僕の中で負い目みたいになってしまったんです。それがきっかけだったと思います。
家にいるときは、ずっとゲームをして過ごしました。ゲーム機は父が買ってくれたのですが、そのころには、父も不登校のことを理解しようと歩み寄ってくれて、僕のやりたいことをやらせてやろうと思ったようです。外食にもよく連れて行ってくれました。そこでいろいろな話をしました。親のことは尊敬していたし、親の言うことは正しいと思うが、今僕はそれをしたくない、今はできないと言い続けてきました。それがあったから、これはしょうがないなと、親も腹を括ったのかもしれません。
そして、東京シューレ葛飾中学校へ
シューレ中のことを調べてくれたのは母でした。僕がシューレ中に入ることを決心したのも母のためでした。それしかないです。父と母を安心させないといけないから、行くしかないと。そして、中3の時にシューレ中に入りました。
その後、すぐにシューレ中へは行かなくなり、また家で過ごすようになったのですが、それも母がいいよと言ってくれてからです。そして、いっぱい自分の好きなように過ごさせてもらって、もう不登校もいいかなと思えるようになってきました。何か違うことを始めたいなと思うようになってきたんです。
その時が、進路を決める時期でした。それで、高校へ行こうと思ったんです。ただ、普通の高校はいやだったし、声優になりたかったから、そういうことも学べる高校へ行ってみようと思いました。
かけがえのない仲間との出会い
高校では、めちゃくちゃエンジョイしました。そこで、一番仲の良い友達ができました。真面目一徹だった自分がたくさんバカをやりました。そういうことを一緒にやった仲間とは今でも仲がいいんです。また、声優・俳優になるために、いろいろなことをやりました。
大学進学にあたっても演劇を学べる大学を選びました。そして、就活の時期を迎えたのですが、いろいろ考えた末に今の会社(OA機器関係)に就職することに決めました。
その頃から、付き合っている彼女と家庭を築きたいと考えるようになりました。そう思うと、芽が出るのに10年はかかると言われる役者をめざすのは自分勝手かなと思ったのです。
不登校をして良かった
シューレ中に入学して良かったのは、必要以上に干渉されないということでした。学校に来い来いと言われないことで救われました。未知のできごとに出くわしたときにも先駆者がいるし、それに真剣に考えている仲間がいる。それで安心しました。また、考え方も変わりました。家族が、僕のことを理解しようと努力してくれました。僕は幸せ者です。親には迷惑をかけましたが、今は感謝と謝罪の気持ちだけです。
もう一つ不登校をして良かったのは、気負うことがなくなったことです。不登校の子どもはみんなまじめだから、自分の力を100%出そうと考えちゃう。僕もそうでした。だけど、80%出せたらめっちゃがんばったね。50〜60%出せたら、まあいいかな。そうやって自分を許せるようになったのは、自分を徹底的に否定し、自分という人間ととことん向き合う時期があったからだと思うのです。中学生という多感な時期に、不登校という経験をできたことは、僕にとって良かったと思えるようになりました。