1996年生 ● 葛飾シューレ(ホームスクール) ● 専門学校生 ● 不登校=小4〜 ● シューレ在籍=中1〜中3
姉妹、家族との絆
裕里加 不登校になったきっかけは小4の時にいじめを受けていたことです。最初は行くのやだな〜くらいだったんですけど、ある日突然行けなくなりました。いじめた子に対しての恐怖心があって。別にクラス全員にいじめられたというわけではなかったんだけど皆に嫌われるって思っちゃって。
絵里加 裕里加が行かなくなってからつられていかなくなりました。一度2人で新しい小学校に転校して、不登校だったから教室で浴びる生徒たちの目がすごく嫌で。保健室登校もしてたんだけど、その先生も分かってくれなくて。休んでいる時は自分を責めたりして、お母さんも辛かったみたいでカウンセリングとか行って、でもその先生の話も合わなかったみたいで。
学校に行かせると私達が傷つくだけだから、自殺とかうつ病とかになっちゃうんなら、もう家に居てゲームとか好きなことやらせた方がいいという考えを持ってくれたんです。すごく理解のある母親でありがたかったです。
お母さんは私たちを第一に考えてくれて、強制的に学校に行かせなくさせた。もう学校なんてどうでもいいわ、まずは命って感じで。
お兄ちゃんも別に学校行かないことに対して特に気にかけてもいないようだったし。いつも通り普通に接してくれたのが助かったのもあります。別になんかおかしい子って思わないで何で学校行かないのとか、どうしてそんなになっちゃったのってヘンに心配することもなくて。
裕里加 私たちが運がよかったのは双子でいつも一緒に居られたこと。これを一人で考えるっていうのはすごく辛かったと思う。二人で不登校になって気持ちがわかりあえたっていうのが全然苦しみが違うんじゃないかなと思います。
シューレ中はお母さんが見つけてきてくれました。入った時は学校に無理してまで行かなくていいことを聞いてすごく楽だった。最初は家で過ごしていたけど、後半はだんだん元気になってきてシューレ中に通いたいなって思ってきました。けど、絵里加の方が先生にすごくトラウマがあった。
小学校の先生にはいじめられたと思っています。やっぱりシューレ中は子どものことを考えてくれるから、もうほんとうにシューレ中がなかったら今生きているかどうかわからないです(笑)。 友達もできたし中3が一番楽しかった。
ホームスクールの仲間とはお出かけとかチャットで仲良くなった。そういうので友達の輪を広げられた。
自分の意志を持つ
裕里加・絵里加 高校卒業後の進路はジュエリーデザインの専門学校に通うことにしました。将来はジュエリーデザイナーになれたらいいなと思っています。シューレ中に入ったという道だったから、自分の考えを持つことができた。それが本当に良かったです。
シューレ中は子どもを中心に考えてくれる所がすごく良くて、ありのままの自分を出せますよね。大人の考えに支配されないで、自分で育つという感じがすごくいい。違うと思ったことにはちゃんと自分の意見を言えるようになったかな、と思います。
今になってみれば不登校になって良かった。シューレ中にも出会えたし、いろいろいいことを教わった気がします。また救われました。一番本当の自分を見せる場所でもあったので。
文化祭でダンスとか見せることができて楽しかったし。本当に卒業したくなかったです(笑)。家で過ごせたことは不安もあったけど体力回復することもできました。
家で過ごすことがなかったら元気になるのも遅かったんじゃないかな。充電してた感じ。家ですごく生き生き過ごして、自分らしく生きることができたなと思います。あの時はいい時間だったな、って思えるようになりました。