1981年生 ● 大田シューレ ● 鉄道社員 ● 不登校=小1〜 ● シューレ在籍=中2〜18歳
環境を変えるため引越したけど……
小1の2学期から学校に行かなくなりました。今考えると、幼稚園から小学校へ変わることへの理解ができていなかったのではないかと思います。無理やり学校に連れて行かれていたし、周囲からは病気扱いでした。
1年の3学期くらいからは担任も自分のことをだいぶ理解してくれたように思います。僕が、廊下でワーワー泣いたり、休み時間にクラスの子からいじめられていたのを、隣のクラスの担任が知っていたようです。その人が自分の担任をかってでてくれたようで、小2からは学校に行けるようになりました。そのような事は後から分かったことで、自分のことを理解してくれたその先生とは、今でもやりとりがあります。
ところが小3になり、今度は授業中ずっと竹刀を指示棒がわりに持っている担任に変わり、竹刀で黒板をガンガンたたいたり振り回したりするたび、小1の頃の恐い経験を思い出し、行きにくくなりました。
小5の時に再び行き出しましたが、コミュニケーションが得意でなかったせいか恰好のいじめのターゲットになっていました。家族で話し合い、環境を変えるために引越しをしました。しかし、その先は同じ学区内。当時いじめてきた子の家のすぐそばだったので、本当にショックだったことを覚えています。学校に行こうとするだけで気持ち悪くなり、小5の3学期から中学まで、全く行っていません。
親は病院や専門家のところに行ったりしてましたが、ある人から「主人公はTくんなんだ。今あなたたちがやっていることは、学校にただ行かせようとしているだけ」と言われ、親も自分が苦しんでいるのを見て、学校に行けとは言わなくなり、理解してくれました。
その後、中学の先生からシューレの話を聞き、自分自身も友人がほしかったし、生活に変化をつけたいと思い、入ることにしました。外に出ることに引け目があったし、ちゃんとやっていることを示したかったのだと思います。
シューレに入ってよかったなあ、と思ったのは本音で話せる友人ができたことです。今でもその人たちと続いているし、人との付き合い方を学びました。
叔父の電車運転を見て、自分も……
ある日、シューレに向かう途中たまたま叔父が運転する電車に乗ったことが、後の職業につながっていきます。多くの人を乗せ運転する叔父が「すごい」と思いました。急いでいる人、本を読みながらの人、駅に着いたら走って行かなくてはいけない人、これだけ多くの人をこの叔父一人で乗せている、と思うと本当にかっこよかったです。自分もこういう仕事ができたらいいなあと思いました。
とてもじゃないけど自分はできないと思う気持ちもある反面、今からやれることをやってみようと思い、親に頼み込んで実家を出て一人暮らしをしながら定時制高校に入学。観光専門学校に行き、勉強に集中し、在学中に11の資格を取得し、首席で卒業しました。
中学から高校に入るまで3年間のブランクがあることを就職試験では聞かれましたが、この3年間が自分にとってはすごく意味があることと答えました。鉄道会社に就職して10年。指導運転士として通常の業務の他、指導、育成にも携わっています。
現在は結婚し、子どもは小学生の娘、来年幼稚園に行く息子との4人家族です。家族それぞれお互いの存在を認め、頭で考えすぎず、肌で感じるようにしたいと思っています。こうしようではなく、そのつどそのつど考えていけばいいかな、と思っています。
シューレが当時の私にとって、とても大事な居場所でした。シューレに出会ったことで今の私がある。出会わなければ違った人生ですが、それもまたひとつです。一点に集中せずに広い視野を持つことで、心にもゆとりが生まれることを知りました。子育ても仕事もゆとりを持って励んで行きたいと思います。