1984年生 ● 新宿シューレ ● 福祉施設職員・シューレスタッフ ● 不登校=中2〜 ● シューレ在籍=16歳〜21歳
学校に戻ろうと思ってもダメだった中学時代
小学生のときは楽しく学校に通っていました。中学校に入ると徐々に学校に行くのがしんどくなり、中2になるとさみだれ登校。中2の夏休み明けから全く学校に行かなくなりました。これといったはっきりとした理由はないのですが、今思い出すと英語の授業が一つのきっかけになったと思います。
英語は苦手だった上、その時の先生は一人ずつ順番に当ててみんなの前で答えを求めます。事前に参考書を丸覚えして授業に臨むのですが、順番が狂ったりしたときは「分からなかったらどうしよう」という不安でとても緊張していたのを覚えています。
中2になると部活で先生や先輩ともめることがありました。また、もともと喘息でしばしば学校を休んでいたので授業にもついて行けません。ただそんな理由で学校に行かないことは当時はありえないと思っていて、行かなくてはとあせるのですがどうしても行けませんでした。
中学生時代は、学校に戻ろう、戻らなくてはだめだ、と思っていて、修学旅行にも行ったのですがどうしても戻れませんでした。中学を卒業し行かなくてはいけない学校がなくなって、やっと落ち着ける環境になり、家でゲームをしたり、漫画や本を読んだり、好きな自転車で外出したりしながら、少しずつ自分をとりもどしていきました。
シューレは1年間、行ったり行かなかったり
シューレの存在は不登校になった直後に親が奥地さんの講演会を聞きに行ったりしていて、以前から知っていました。中学を卒業してから半年が経ち、やっと気持ちが休まり人と関わってみようかなと思った頃、シューレに見学に行きました。
見学を5日間続けて即入会、シューレに入ってからも1か月間毎日続けて通いました。ここからまたがんばるんだという意識があったと思います。でも案の定疲れて行けなくなり、1か月休むことになります。
休んだ後は自分のペースでやろうと決め、それから1年間は行ったり行かなかったり、行っても漫画を読んだりゲームをしたり、いわゆる活動には参加しませんでした。
その後初めて本格的に参加した講座がハモリ(アカペラ)講座でした。歌うことが好きでしたから。この後はギター講座や演劇講座に参加したり、新宿シューレのHP作りにも取り組みました。
シューレの20周年イベントでは副実行委員長をやりましたが、もう20歳になっていました。当時は20歳の終わりで退会する決まりでしたから、在籍5年間をフルに使って、ゆっくりやりたいことをやらせてもらったように思います。
焦ってもプラスになることは一つもない
シューレを退会してからも、シューレの広報のアルバイトをしたりボイスパーカッションの講師をしたり、シューレとはずっと関わりを持ってきました。
現在は新宿シューレに週2日、サポートスタッフとして関わっています。
並行して音楽を特色とした障がい者の福祉施設で働いていますが、どちらの仕事も楽しく、今は両方に関わっていたいと思っています。
学校に通っていたころは、みんなに合わせて「ちゃんとやらなければ」という既成概念にとらわれていたと思います。シューレでは自分のペースでやる、ということを学びました。
シューレで5年間かけて徐々にできることがふえていったように、これからも自分の気持ちを大事にして、自分のペースをしっかり守って進んで行きたいと思っています。