1990年生 ● 王子シューレ ● 留学生(アイルランド在住) ● 不登校=小1〜中3 ● シューレ在籍=小2〜18歳
アイルランドの首都ダブリン。23歳の10月から二度目の海外在住だ。レストランで働きながら何とか生計を立て語学学校に通っている。もちろん英語をもっと身につけたいのもあるが、目的そのものがダブリンでの暮らしと、いつか音楽を始めたいという夢だ。
初めての海外は19歳、ロンドンで始めた。王子シューレをやめてすぐに出発。15歳頃からの夢だった。当時のギター講師が原点となった。音楽の刺激も受けたが、どう生きるか、人生の価値は何か、多くのことをよく語り合った。
不登校は小学1年生から。廊下にすぐ立たせる厳しい担任だった。「当時は行きたくないとダダこねてた」。シューレは母親が見つけてきて小2で入会。「あの頃はゲームばっかり。集中してやっていられてよかったし、仲間もいっぱいできた」。でも落ち着かない気持ちもあって流されるまま過ごした。「シューレに行かなかったら、そしてギター講師に出会わなかったら、ずっと周りに流されっぱなしだったのでは……」。「まともな大人」に出会えたことを、今でも感謝し尊敬している。
十九歳、一人でイギリス移住
洋楽にはまりアメリカかイギリスを考えた。「ビザのために学校へ行く必要があったんだよね」。バイトも始め資金を貯めた。当時はイギリスの方が簡単だと知り、ネットで語学力テストを兼ねた申込ページから応募した。連絡が来て、シューレでの学習履歴書を送付すると入学許可が出た。英語はほとんど話せず書けない上に、ほぼ初体験といっていい“学校”。ついて行くのは大変だったが学ぶことが新鮮で楽しかった。ロンドンでは2年10カ月過ごした。日本人駐在員も多く、バイトもすぐ見つかった。しかし政権が代わりビザ延長が難しくなると閉鎖する語学学校が相次いだ。
しかたなく帰国。次の機会を狙って再びバイトして1年半かけて資金をためた。もう一度ロンドンを目指すが抽選でビザが得られなかった。「となりのアイルランドには空きがあるらしい。音楽でも有名なところだし1年間のワーキングホリデーもある」。
二三歳、二度目はアイルランドへ
住まいは到着してから探した。ビザが取得しやすいためスペイン人、イタリア人が多く入っていた。東欧や南米からも多い。部屋を借りるにも家主の面接があって、仕事はまだないと言うと当然敬遠された。ホテルに滞在しながらネットで探しては問い合わせる。「時間はあるけどお金がないから自転車を買って回った。10軒以上ダメだった」。部屋が決まるまで1カ月を要した。
11月はすでにクリスマス求人が終わり、今度は仕事が見つからず、ひきこもり生活だった。お金がないので自炊した。仕事が見つかったのが年明けの2月。たまたま入った日本食店で求人があると聞いた。即日面接してもらい、1日トライアルで働いて採用された。「時給8・65ユーロの最低賃金で1日5時間。でも、1日分と同じくらいの稼ぎがチップで得られる」。語学学校も見つけて入った。しかし、それは2校目。1校目は500ユーロ払って申し込んだが、現地に行くとすでに学校自体が閉鎖されていた。だまされた。役所で信頼できる学校選びのポイントを教えてもらった。ようやくビザもクリアでき安定した。
クリエイティブに、でもネガティブも大事
「海外にいて思うのは、日本人はシャイだというが、こっちの人はシャイを理解してくれない。黙っていてはだめ。“空気を読む”というのがないしね」、「一つの世界で終わらないで、いろいろ考えてクリエイティブにやっていきたい」。一方でこれまでを振り返って、「くすぶっていた自分、“落ちていた”時期があって今がある。だから苦労やネガティブなことを否定はしない」とも語る。「仕事場の休憩室で音楽の話で盛り上がったり、露店でバイトしてたヤツがいつもスミスをかけていたので話しかけてバンド組もうと誘ったり。バンドはまだ実現してないけど」。これから少し音楽の方が広がって行きそうに感じている。(文・中村国生)