1973年生 ● 東十条シューレ ● カメラマン ● 不登校=小3〜 ● シューレ在籍=高1〜17歳
学校に行けなくなったのは、小学校3年生の2学期からです。小児喘息の発作で夜は眠れず、明け方になってから寝ていました。寝ないで学校に行けと言われなかったので、喘息のあった日は学校を休んでいました。でも、喘息があってもなくても学校には行きたくありませんでした。
写真を仕事にしたいと考えて写真学校で基礎的なことを学ぶ
学校に行きたくなかった理由は、いじめです。毎日、上履きや下履きを隠され、靴を探すのが日課でした。前に隠された靴が見つかるのはよくあることで、係の仕事でゴミ箱の中身を焼却炉に入れようとしたら自分の靴がゴミ箱から出てきたりもしました。片方だけしか見つからなくて、ケンケンして学童保育に行って、学童から家までケンケンして帰ることもありました。大事に使っていた鉛筆がなくなって、給食の時に自分の食事の中に入っていたこともありました。ぶたれたり、無視、仲間はずれなどは慣れていましたが、物がなくなると困ることが多かったです。そのうち、喘息がないときでも仮病をするようになり、学校を休むようになりました。
中学校は、市川市の国府台病院にある院内学級に入りました。当時は渡辺位先生が勤められていて、グループカウンセリングの場として「希望会」という不登校の親の会がありました。そこに母も参加しはじめ、ずいぶん不登校を理解してくれるようになりました。
シューレの入会は中学校を卒業した後の十六歳からで、バイトをしながら写真講座に参加していました。撮影会に出かけたり暗室で現像をしたりと、とても楽しかったです。そのうち写真を仕事にしたいと考えるようになりました。
シューレには約2年間在籍しました。シューレを退会した後は、もっと写真を学びたいと思い、現代写真研究所に入りました。入るために学歴は必要なく、写真をやりたいという人であれば、誰でも入学できるところです。そこで基礎的なことを学びました。
家族と自然な生活をしながら
その後、フリーランスになり、不登校新聞社で働く機会もありました。妻とはその頃に知り合いました。彼女は優等生で学校が好きだったので、世の中に学校を嫌いな人がいることが驚きだったようです。二人の体験が大きく違っているので、子育てをするときにとても役に立っています。お互いの価値観や気持ちを共有しながら子育てをしています。
今年、長男九歳、次男が五歳になります。長男は小三になりました。子どもには、不登校の話はしていません。彼は学校が大好きなので、学校に行かない話をしても、今の彼にとってプラスになるとは思えないからです。妻のような学校が好きな人生でも、自分のような学校が嫌いな人生でも、どちらでも対応できると思っています。僕の時代と違って今はシューレがあるので、何かあったときには相談できるのも心強いかな。
不登校の体験で、医療も嫌いになりました。僕の時代は学校に行けないのは病気だと思われていたため、無理に病院に行かされ、医療に良い印象はありません。医療に対して未だに僕は不信感を持っています。それもあり、野口整体と呼ばれる整体を中心とした生活を実践していて医者いらずの生活をしています。薬で治すのではなく体が治すという考えで、とても自然な生活です。
二人の子どもは自宅出産で産みました。整体の提唱する方法で産みたいと夫婦で考えたからです。自宅出産の場合、立ち会うという傍観者的なものではなく、夫婦協同で産む感じです。出産後、妻は起き上がるまで数日必要なので、僕が産湯に入れたり服を着せてあげたり、オムツ、妻の食事などなど、僕は寝る暇がないほど忙しかったです。出産は男の出る幕はないとよく耳にしますが、僕の場合はやることだらけでした。非常に貴重な経験ができました。
今は、「活元」という整体が推奨する体操を教える資格も取りました。月に一回、自宅で活元会を開いて、子どもと一緒にやっています。家族のおかげで、毎日を楽しく過ごせています。家族って、本当にありがたいなと思っています。