1991年生 ● 新宿シューレ ● 野菜直売所店長 ● 不登校=9歳(小4)〜 ● シューレ在籍=10歳(小5)〜18歳
周囲に好かれていない自分を親に知られるのが怖かった
私が学校に行かなくなったのは、小4の12月ごろでした。仲がいいと思っていた女の子たちの間で徐々に仲間に入れてもらえなくなって、とても悲しいと感じながら学校に通っていたのを覚えています。行かないなんてことは頭にも思い浮かびませんでした。
ある日、彼女たちから渡された手紙を母が私のペンケースから見つけたのをきっかけに学校に行けなくなりました。
手紙の内容は全く覚えていないのですが、母が一目見て「この子はいじめられている」と感じるような内容だったのでしょう。クラスの中で好かれていない私を親に知られてしまったことや、「どうして言わなかったの」と親に聞かれ続けることはとてもつらく、その度に「好かれていない私」のことを考え、口にし、母の悔しそうな、怒ったような顔を見ては泣いていました。
学校に行けなくなってからシューレに通いはじめるまでの記憶はほとんどないのですが、母が「今度見学に行ってみる?」と聞いてきたことはなんとなく覚えています。ドキドキしながら初めてシューレのドアを開けた時に「こんにちは」と、初等部(小学生)を肩車したスタッフがあいさつしてくれたのが印象的でした。
初めて会った人ばかりだけどとても楽しくて、その日の夜に感想のお手紙をシューレあてにファックスで送りました。私に話しかけてくれて、笑ってくれる人がいたことがすごく嬉しかったんだと思います。
シューレに通ったのは8年間。アカペラコーラスをしたり新宿シューレのホームページを作ったりという活動もしましたが、「どんなことをしていたの?」と聞かれて思い浮かぶのは友達の間で流行ったくだらない言葉遊びや合宿先で夜にしたおしゃべりばかりです(笑)。
シューレの講座で始めた料理は今も大好きです。いつも大きな鍋で30人分とかを作っていたので、最近やっと一人分のカレーを作れるようになりました。
18歳で退会したあとは、友人の助けを借りて高認を取得し、20歳の時に写真の専門学校に入学しました。友達と会う時間も減り、新しく出会ったひとたちに自分がこう見られたい、でないと好かれないということにとらわれてばかりでつらい時期でした。だからこそ、その時に覚えた写真を撮るということは自分にとって大切な行為になりました。
「こう見られたい」ではなく気楽な私でいられる仕事
現在は、専門学校に在籍している間に始めたアルバイト先に店長として勤めています。「くにたち野菜 しゅんかしゅんか」という「おいしいとれたての地場野菜を味わってもらい、都市に農地があるのは素敵なことだなあ」とお客様に感じてもらうために地元でとれた農産物を販売するお店です。
将来どんな仕事に就こうか考えていた時期は、歌うことや写真を撮ることといった、「表現行為」で生活したいと思っていましたが、日々店頭に立ち大好きなお客様やスタッフと働ける今の仕事に就けて良かったと感じています。
作った料理の話をしたり、好きな曲を流したり、旬の野菜を並べたり、私を気楽に表しながら生活しています。
地元のお店で働き始めたことで、知り合いに会わずに街を歩くことはできなくなりました。悪いことはできません(笑)。
人にどう見られるかが気になるのは、今もあまり変わりません。けれど、それに縛られて身動きがとれないわけではなく、「いろんなわたしがいていいんだ」ということにふと気づいたり、「嫌われたくない」と感じてしまう自分のことも、前ほど否定しなくなってきました。
そんなことも含めて、これまでのこともこれからのことも、たくさん話して、いろいろな事に思いを巡らせあえるシューレで出会った友人はわたしの最高の宝物です。