1991年生 ● 王子→ホームシューレ ● 家ベース● 不登校=6歳(小1)〜 ● シューレ在籍=7歳(小1)〜19歳
わけもわからず苦しかった
現在は、雑貨も扱う書店で週3〜4日フルタイムのアルバイトをして、生活費の約半分を自分で稼いでいます。
バイト以外では(収入以外の活動としては)、不登校新聞社に月1回の子ども若者編集会議に参加し紙面作りに関わったり、18歳から趣味でやっていた人形作りを友達に「教室」という形で教えています。
これが向いていたら将来教室を仕事にできないか? と考えて始めましたが、同じ趣味の人と週一回会って創作活動する、のはそれだけで楽しいです。
義務教育が関係なくなってからは、通信制高校の卒業資格を親に取らされてきつい3年間を送ったり、その後何をしたらいいかわからず、漫画の専門学校の夜間コースに卒業まで一年通いましたが、誰とも仲良くなれなかったなあという思い出があります。
「学校」がいよいよ関係なくなると、「何者でもない自分」「子離れしない母親」に嫌気が差し、フリーターになり、親の持ち家で一人暮らしを始めました。
最初は親が週の半分くらいは同じ家にいましたが、私が摂食障害になり過食嘔吐が止まらないので、一人にしてくれと両親にお願いしてからは完全に一人暮らしです。
そういった新しい生活の中で、それまで部屋に閉じこもってばかりで生活の仕方も人との関わり方も知らず、「わけもわからず苦しい」ことばかりでしたが、元ひきこもりで精神的に病んでいた経験のある彼氏の理解と支えがあり、なんとかやっている感じです。
自分が苦しい時、なぜ苦しいのか一緒に考えてくれて、共感して、ある意味メンヘラ(精神を病んでいる人)の先輩として「こうしたらその苦しみは解決するかも」という事を教えてくれるのが今の私を助けてくれています。
同じ痛みを分かち合える人が支え
不登校の経験が役だっていると思うのは、実は同じ経験をしていた友達に共感して仲が深まったときくらいです。また、共感して仲良くなった場合の友達は大抵メンヘラなので、楽しみより心配が増えただけ、ということもありますが、同じ痛みを分かち合える人がいる、ということが私を支えてくれる事もあります。
でも不登校ひきこもりをしなければ、そもそもこんなに孤独ではなかったかも、とは思いますが、それはわかりません。
ただ子どもの頃あまりに傷つきやすく集団行動も苦手だった私にとって、それなりにポジティブな教育の可能性として不登校やホームエデュケーションという概念がすでに用意されているのは助かりました。
養護学校のようなところに連れて行かれて他の子の世話役を押し付けられ苦労した友達の話を聞くと、親がそういう方法もあると知っていたのはラッキーでした。
安心感が欲しかった
ただ、ホームエデュケーションといっても昼間は不安定な母親と勉強や家事はせず2人きり、夜はお父さんも含め3人で夕飯(私にとっては朝食)を食べるだけ、ほぼひきこもりの生活だったので、もっとマシな子ども時代が欲しかったなあと心から思います。
両親は私に居場所を探して連れて行ってくれたりもしましたが、私がいない間、家で一人になった母親が哀れで後ろめたかったり、自分がいない間に父親と喧嘩していないか心配で安心して楽しむ事はできず、続きませんでした。
子どもの不登校を心配していろいろしてくれるよりも、まずは両親との家族関係の中での安心感が欲しかったなというのが正直なところです。
家庭に安心感があったらそもそも不登校にならなかったかもしれないし、今私を支えてくれている元メンヘラの彼氏は学校はほぼ完遂していますが、「全く学校に行ってないとあまりに当たり前過ぎて誰も教えてくれないこと」を知らないから苦しみが複雑になっているのでは、と言っています。
それについては納得でき、学校は行かなくても、社会で生きるための基本的な常識はどこかで教わりたかったなと思います。