1994年生 ● 大田シューレ ● 大学生 ● 不登校=小2〜 ● シューレ在籍=小2〜小6
シューレで出会った人たちは、本当の意味での「友だち」だった
不登校になったのは小学校2年生の時。その時の担任の先生との相性が悪く、全く意味がわからないことで、みんなの前で怒られたり、立たされたりして小学校2年生の5月には行かなくなりました。その時の学校の対応もひどく、校長や教頭は学校に行かないのは法律違反だと、ありもしない法律を言って来て、とても怖い思いをしました。
シューレは母親が調べて見つけて来てくれました。母親は元々教育関係の仕事をしていたこともあり、他にもフリースクールや居場所を探してくれましたが、その中で一番初めに行ったのがシューレです。そして「ここがいい」と私が言ったので通うことになりました。シューレでは20周年の時にみんなでコーラスをしたことが思い出されます。
中学に入るとき、大田シューレが閉まることもあり、その時にやめました。中学は地元の中学校に通いましたが、全く面白くありませんでした。ただ、美術はすごくほめられたし、小さいころから絵を描いたり、作品を作るのが好きだったので、これを伸ばしたいと思って高校は美術系のある高校を選んで進学しました。
高校時代はすごく面白かったです。自由にのびのびできたし、先生たちも好きなようにやらせてくれました。高校の時は長いときは12時間ぐらい学校にいて、作品をつくったりもしていました。体力的には忙しくて大変だったけれど、ものすごく充実した時間を過ごしました。そして、その延長で、今は美大に行っています。大学では作品を作るための基礎と共に、その作品を伝えるためのプレゼンテーション力に力を入れて学んでいます。
大学に通うようになって、シューレで出会った人たちの良さを再確認しています。今大学で周りにいる人たちは、いわゆる「普通」に学校という道を通ってきた人が多いのですが、その人たちと話していると、「こうあるべき」、「こうしなければいけない」という考え方が強く、考え方に柔軟さがあまりないと感じることがよくあります。
表面的には大学の人たちともうまくやっていっていますが、シューレの人たちと話をしているときのようには本当に伝えたいことが伝わらないこともよくあり、理解されないもどかしさも感じます。シューレで出会った人たちは、不登校もそうですが、社会の多くの人がもっている価値観とは違った、多くの人にはあまり理解されないような事が理解しあえる感覚があります。同じ価値観を共有できるという安心感があります。「仲間」という感覚があります。
最近作品展をしたのですが、その時、多くの友人が来てくれました。そんな時、シューレの人と会って、話をするのがとても楽しい。本音でいろいろ話ができる。信頼がおける仲間だなあと感じるし、「友達」というのはやっぱりこういうことだよなあと思います。
人生は自分で選択していく、それが大事
シューレの存在を知ることができたのは自分にとってとてもよかったと思います。何より、いわゆる小・中・高・大に行って就職をするという道とは違う、別の歩き方・世界を知ることができた事で、自分の人生が、とても意味あるものになりました。また「自分で選んで人生を作っていく」ことが非常に大事だと思うようになりました。
中学を地元の中学で、高校を美術のある高校を、大学は美大というふうに自分で選択して生きてきています。選択したことが合っているときはもちろんだけれど、選択したことがやりにくいことがあったとしても自分で選んだということでそのことをやり続けられます。同じ状況だとしても、誰かに言われ、誰かに選ばされたことであったとしたら、自分が納得のいく人生はおくれないと思います。
自分の人生は自分で選んで作っていく、そう思いながら生きていけることは本当によかったと思います。