1986年生 ● 新宿シューレ ● イラストレーター ● 不登校=小1〜 ● シューレ在籍=中1〜中3
——今「立体イラスト」という独特の絵やデザインの創作をなさっていますね。取り組むようになった動機は?
私は、聴覚障害をもって生まれてきたため、コミュニケーションがうまくいきませんでした。その上、発達障害を合わせもっていたため、小さい頃からやりにくいことが多くありました。
一つにこだわると頭の中はそればかりで他のことは考えられなくなったり。空気や人の表情を読み取るのが難しく、混乱したり、周りの人を怒らせたり。そんな中で、母と私は絵で知らせあうことが日常になりました。
絵は、伝えたいという心から自然に描くようになり、なんにでも使います。また手話・読話、文字、総動員です。絵は好きでうまくなるし、一度見た場面ははっきり記憶しているし、今につながっています。
——ろう学校に行きましたか。
はい、でも入学してみると、皆と同じように行動することが大変で、注意ばかりされていました。
私はカレンダーの数字が気になってそこばかり見ている、先生は言葉の訓練に集中しない私を怒る、でも私は何に怒ってるのかよく分からない、皆と同じにできない子、認知能力の低い子になってたんですね。
ろう学校に行けなくなり、母は行く先を探したようです。松本のろう学校で2年半過ごし元気を取り戻して東京に戻り、小学校の籍がもらえました。そのあといろいろな教育機関に行きますが、その一つが東京シューレでした。
——シューレはどう感じましたか。
2001年から3年まで、つまり高校受験までいましたが、自分が選べる選ばないが尊重され、よかったです。
私が参加して覚えているのは、東京タワー、船の博物館、芋掘り、相模湖ハイキング、よさこいのダンスなどで、お泊り会も楽しかったです。銭湯も行きました。それから、シューレでは、お母さんが安心していたのが良かったです。
——進路のことはどう考えましたか。
中卒のあと、アルバイトも考えましたが、空気を読んだり、掃除をちゃんとしたりできる自信なかったし、学校生活は何年もやっていなかったのですが、その時は不思議と怖くなかった。周りが高校へ行くというので私も、と思った。行くなら、絵やものづくりが好きだから工芸高校がいいと思いました。定時制なので、いろんなタイプの子がいたことも勉強になり、友達もできました。
勉強はお客様状態でした。聴覚障害への対応が何も無かったからです。でも友達や先生に助けられました。工芸系の専門なので、手作業の授業は大変でも、とても楽しかったです。
——絵は、もっと勉強したかった?
ハイ、迷わず美術の専門学校に入学しました。いろいろな手法を学ぶ中で、立体イラストを手掛けるようになり、自分の個性と思って、どんどん作品を創っていました。
研究科を合わせ5年在籍、卒業作品も立体イラストで、卒業後、今までに100点は創っています。日常の何気ない生活を描く絵カードも一杯描きました。
——現在の作家活動は?
2011年、銀座で初の個展を開き、その後、東急ハンズでの展示・販売、谷中での個展などを実施。2014年に、母との共同執筆で『聖奈の絵はコトバ』を出版、下北沢で記念個展を開催、東急百貨店、そして最近では地下鉄博物館でも作品展をやりました。東京メトロでは、クッキー缶のデザインも担当させて戴き、現在も販売中です。
——今後の夢は?
海外でもやっていきたいし、おばあさんになってもやっていきたいです。思い出が失われないように、記録を大事にしていきたいです。絵日記は、今も毎日描いています。
杉本聖奈:Nan-na工房
http://cw-fronte.com/Nan-na_kobo.html
鉄子な絵日記