1990年生 ● 新宿シューレ ● 臨床工学技士 ● 不登校=13歳(中1)~ ● シューレ在籍=13歳~19歳
本当の気持ちを話せない
不登校のきっかけは中学受験です。小4の終わり頃、ただの力試しのつもりで進学塾の模擬試験を受けたら、そのまま春期講習に参加して中学受験を目指すことになってしまいました。友だちと遊べなくなり、「本当は受験なんかしたくない、みんなと同じ公立中学に行きたい」と思うようになりました。けれども幼い頃から自分の気持ちを話すのが苦手で、怒られたらどうしようと不安になり、親にはずっと言えませんでした。
結局、受験勉強を続けて私立中学に合格しました。自分の受験番号を見つけてしまった時の複雑な心境が今も忘れられません。親の喜ぶ顔を見て、本音を言えないまま入学することになりました。
登校中、ふと6年間も行きたくない学校に通うのかと思うと絶望的な気持ちになりました。中1の6月に風邪で学校を休んだ翌日、ついに足が止まります。勇気を出して電車に乗ったら目の前が真っ白になり、とにかく苦しくて、たった一駅が地獄のようでした。それから電車に乗ることが怖くなってしまったのですが、当時の私には学校に行かないという選択肢がなく、電車に乗る練習をして10日後になんとか登校出来るようになりました。
母に自分の気持ちを話せたのは、中1の夏休みに病院で点滴をしていた時です。私の中で何かが吹っ切れて、もう隠すのをやめようと思い、受験が嫌だったことや公立中学に行きたかったことを全部打ち明けました。そして2学期から公立中学に転校したのですが、体調が悪く4日目から行けなくなりました。この頃には親から無理に登校を促されることはありませんでしたが、将来この子は一人で生きていけるのかと親なりに色々心配していたそうです。
新宿シューレは、何の講座に参加するか、あるいは参加せず自由に過ごすかを選べるところが自分に合っていると思い入会しました。趣味の合う人や家が近い人とも仲良くなり、入会したての頃はパンを作ったり、テニスに行ったり、お茶を飲みながらおしゃべりするのが好きでした。その後は周年祭や音楽イベントなどの実行委員会に積極的に参加するようになりました。自分たちで企画を立ち上げて創りだす楽しさを知ったことが、その後の活動の原点になっています。
医療の仕事に就きたい
中3のクリスマスにルービックキューブと出会い、タイムを縮めるために練習を重ねて大会にも出場しました。自分に自信が持てるようになったのもキューブのおかげです。ところが、中学を卒業して、シューレの高等部に通いながら飲食店でバイトしていると、バイト先の人やキューブ仲間の人たちに「高校は行った方がいいよ、将来どうするの?」と言われるようになりました。最初はそう言われることが苦痛でしたが、それが将来のことを考えるきっかけになりました。たくさんの人に相談して、都立のチャレンジスクールへ行くことに決めました。高校受験は、「受験」という響きだけで嫌でしたが、作文・面接だけだったのでなんとか頑張れました。
高校に通っていた頃「ME(臨床工学技士)」という医療機器を扱う仕事に憧れ、専門学校に入学しました。基礎学力が足りず、小4レベルの計算ドリルからスタートです。夜遅くまで学校に残って、国家試験の過去問を何十回も解きました。自分が心の底からなりたいと思ったことにはこんなに頑張れるのかと自分でも驚きました。
23歳の時、公立病院にMEとして入職して、現在は透析室やICU(集中治療室)などで働いています。患者さんの体に接続する「生命維持管理装置」と呼ばれる機械を扱っているので、命に関わるプレッシャーや緊張感が絶えませんが、やりがいがあるので頑張れます。
私には、学校以外の場所で学ぶ期間も必要だったのだと思います。ストレートに進学していたら味わえないような出来事をいくつも体験してきました。私が学校やキューブの大会などで自発的に動き出せるようになったのも、シューレでの経験が生かされているからです。これからも色々なことに挑戦していきます!